天豆てんまめ

帰ってきたヒトラーの天豆てんまめのレビュー・感想・評価

帰ってきたヒトラー(2015年製作の映画)
4.2
長男がいきなりこの映画を今夜観たいと言い始めた。

彼に以前渡した’受験勉強を差し置いても観るべき24作品リスト’ の中から気分で選んだみたい 笑 

せっかく気分良く「素晴らしき映画音楽たち」を観ていたのに、、ついつられて再見しまった。改めてレビューを再稿して書き直しました。※以前頂いたコメントは大切に保存させて頂いています☺️

3年前に観た以来だったが、改めてかなりヤバイ映画だと思う。

そして今のこの誰も予測し得なかったこの時勢において、公開当時より、この映画の持つ意味の恐ろしさは増している。

やはりこの映画は「不謹慎の極み。途轍もなく恐ろしくも面白い」それに尽きる。

物語は突如として始まる。ヒトラーがタイムスリップして現代に現れる。理由は無い(笑)誰もがまた新手のヒトラーモノマネ芸人だと思っている。しかしあまりの完成度の高いヒトラーぶりに彼を芸人だと思っていても、本物のヒトラーが何をしたかをわかっていてもその魅力に人は引き込まれていく。そしてついにTVショーで長きに渡る沈黙の後、圧倒的な演説を放ち、観客の度肝を抜く。TVでもSNSでも瞬く間に彼の人気は広がっていく。

私も今まで観たことのないヒトラーの数々に最初は笑いながら観ていた。

クリーニングに並びそのままパンツを脱ぐヒトラー。

蜂蜜取りで蜂に刺されるヒトラー。

肖像画を描いてアルバイトするヒトラー。

スターバックスをスタルバック氏と言って批判するヒトラー。

インターネットに衝撃を受け、興奮するヒトラー。

ドイツのメルケル首相を「陰気なオーラのデブ女」と称したり。当時より今はコロナ発生後の彼女の演説が多くの国民の心を動かし支持率上がってますね。

でも、この映画を笑って観ていると、ヒトラーがヒトラーである一端が垣間見えてくる。

犬とじゃれていたと思ったら思いっきり噛まれ、いきなり銃で撃ち殺す。

その後、死んだ犬を手に運転手の顔に近づける、やり過ぎ。。

中盤はヒトラーに扮する男とディレクターがドイツ各地で色々な人に今のドイツのことをどう思っているのか話を聞くのだが、これがほぼ全てドキュメンタリー。

2時間の内、30分程がフィクションなのでは無く完全なドイツ国民のリアルな反応のだ。

印象的なのは優しく包み込むように、一人一人のドイツへの現状を聴き、そしてそれに対するヒトラー的返答をするその父性的魅力。主演の彼の一貫したヒトラー的見解を発するアドリブ性と説得力も凄い。

もちろん嫌悪感を露わにする人もいるが2ショット写真を撮ったり、賛美したりする人も多い。この素人の生の反応のリアルさが心を揺さぶり始める。ワールドカップで騒ぐ若者にも、無関心な人にも、反難民を叫ぶ人にも、ドイツの政治家にも、右派にも、左派にも、ネオナチにもインタビューする製作陣と主演俳優の勇気というか矜持というかアホというか、、

ヒトラー役の彼には3人のボディガードが付いてアドリブ込み350時間以上のインタビューを執り行ったらしい。中にはカメラを止めろといって「本物だったらあんたについていく」と堂々とヒトラー賛美をする人もいる。もうこの辺になるとこの作品が単なるコメディではないことがはっきりわかってくる。

原作もドイツで250万部以上になったようだがこの難しい題材をヒトラーが原作を書き映画にも出演するという入れ子構造と生のインタビューをコラージュした監督のデイヴィッド・ベンドは本当に才気あふれる監督だと思う。

役者では芸人だと思いながらヒトラーインパクトに熱狂する番組責任者のペリーン女史を演じたカッチャ・リーマンがどこか戦時中の狂信性を思わせるアブナイ魅力を醸して素晴らしい。一方テレビディレクターのサヴァツキの彼女となるクレマイヤー役のフランツィスカ・ウルフ は可愛いくて癒される。

後半はTVやインターネットを駆使してヒトラーの演説が多くの人の心を掴んでいく。そこにはこの混迷した分断が益々強まる時代に、極論だが力強いメッセージを放ち、現状に不満を抱く若者から老人まで見事にシンパにしていく。

果たして本音では共感していないと言い切れるのだろうか。

ヒトラーのTVショーでの演説においては、彼は登場から暫く全く話さない。ヒトラーの演説における「沈黙」の力である。そしてざわめき、その後しんと静まりかえった後、語りかけるように話し始める。最初は笑っていた若者たちの目がヒトラーの力強い言葉によって段々と真剣になっていく。

ドイツの現状を一刀両断し全てに断言する姿に強烈なリーダー像がかっこよく見えてくる。答えの見えない今に何かを変えてくれるのではないかと思ってしまう。人は過去「ヒトラー」がやってきたことを皆知っている。でもその「ヒトラー」に扮した人物の演説に虜になっていく。

なぜ過去、当時の国民がヒトラーに魅入られ崇拝してしまったのかそれを想起させる。そしてそれは現代でも十分に起こり得ることではないかと。

ユダヤ人のおばあちゃんが「最初はみんなそうやって笑っていたんだ」という台詞が心に深く残る。

みんな、最初は笑ってた。

だけど、途中から笑えなくなる。劇中でも途中で、収容所のジョークを考えるミーティングでは、あ、映画として一線超えてしまったなと感じた。この映画は日本映画ではなかなか超えられない一線を何度も何度も超えてくる。もしかしたらこれをドイツの戦後総括の果ての成熟と観ることもできるかもしれない。中には不快感露わに劇場を去る人も多くいることだろう。そんなことを超越した不謹慎すぎるタブーユーモアの波状攻撃である。この製作陣の突き抜けた姿勢に半ばあきれつつも、賛辞を贈りたい。

3年前にこの映画を初めて観て衝撃を受けた後、私の義理の姉の英国人の旦那さんが我が家に来た時、日本でこの作品がスマッシュヒットしていることを伝えたら、顔が曇って途中、話題を変えざるを得なかった。今でもその一線は非常にデリケートなものなのだ。

今はコロナ危機一色の世界ではあるが、国際社会は3年前より分断が進んでいる。ドイツは難民の受け入れの問題や貧困の問題も依然肥大し続けたまま加速している。この間にイギリスが難民受け入れを問題の一端としてEU離脱をし、アメリカの大統領は当然のように分断を推し進めるトランプ大統領が居座り、今や米中はコロナウィルス発生の犯人探しを通じて対立が深まり、全世界で個別化、分離化、右傾化はより一層進んでいる。21世紀は愛と調和と融和の時代なんて言っていた理想主義者は心を砕けている。そんな映画と現実の境界線を無くした地続きのリアルをこの映画は感じさせてくれる。

今でも就任当初から変わらずトランプ大統領の大統領官邸での発言を観ていると出来の悪いテレビバラエティかコメディ映画の一幕なのかと錯覚することがある。でもこれは現実の政治のど真ん中で行われているのだ。一国の大統領、首相のショーマンシップで大衆が揺れ動かされていく。現実も映画も大差はない。

そんな時代に群集心理を掴むのに長けた一人のカリスマに国中が誘導されてしまう怖さは、日本も含め、今ここにある危機として存在している。この映画は時代とシンクロさせ、時に時代を先行した。

思えばチャップリンの「独裁者」が公開されたのはナチス全盛の1940年。どんだけリアルタイムをコメディにしてるのかチャップリン!という話だが、この映画にしてもただの回顧主義やヒトラー論に終らないテーゼを深く抱いている。そうでなければ監督はこんなモキュメンタリー手法をとらなかったと思う。

クライマックス、国中を虜にしたヒトラーが放つ言葉がぞっとする。

「私は人々の一部だ。私からは逃れられない」

この後のラストが怖いと言っている方も多いけど、それ以上に怖いのはこの映画における現在のドイツの方々の生々しい反応や現在の国際社会との類似性、そして大衆心理の危うさはSNSを通じて加速していることなど本質はラストシーンのもっと前からその恐ろしさを示している。

この映画はブラックコメディの皮を被った、現代への問題提起の映画だと思う。そして公開から5年経ち、この映画から溢れる鬱屈と分断の果ての危機は今、世界を包んでいる。

はぁ、素晴らしき映画音楽たち、でリラックスしてたのに、、悪い夢観そう、、でも長男もかなり度肝を抜かれながら楽しんでました。

ただ長男がぽつりと「ヒトラーがただの悪魔ではなかったような気がする。この映画を観て彼を魅力的に感じてしまった。なぜドイツ国民はあの時ヒトラー信じてしまったのか、もしかしたら自分も信じてしまうのかもしれない。その観点で世界史と社会学、哲学も学びたい」と言っていました。

やっぱり、危ない映画だな。

でも、危ない時代でもある。

だからこそ、目をしっかり開いて、自分の頭で考え抜く力が大切なのだと思う。