菩薩

名前のない少年、脚のない少女の菩薩のレビュー・感想・評価

3.9
一言で「飛ぶ」と言っても、大空高く「飛ぶ」、高い所から地面目掛けて「飛ぶ」、マリファナ吸ってニタニタと楽しそうに「飛ぶ」など色々な意味がある様に、「生きる」にしても、世の中には当たり前に生きているのが楽しい人とそうで無い人とがいるのだから、この映画の評価が真っ二つに分かれるのは当然の事である。名前のない少年、この世に居場所なんてない、自分が果たしてちゃんと生きて、存在しているのかすら懐疑的な少年が恋をしたのは、画面の中で微笑む脚の無い少女、脚の無い、とはすなわちもうこの世には存在していないという意味を指す。この世とあの世を繋ぐ媒介としてのインターネット、彼女と共にあの世へ旅立たとうとするも、自分だけこの街に帰ってきてしまったもう一人の青年、ここでは無い何処かへと、誰か俺を連れ出してくれ、そんな想いをボブ・ディランの「ミスター・タンバリンマン」に託して、少年は天国を目指し旅に出ようとする。その橋を渡れば違う世界に行ける、その橋から飛べば、それもまた然り。この映画が静かなのは語らないからと言う訳では無いと思う。語るにしてしてもその想いはたった4文字に集約されてしまうし、誰かに語られるにしてもまた4文字で終わってしまうから、敢えて語っていないだけであって、人の人生はそんな4文字で語れるはずが無いのだから、その聞こえない声に耳を傾けてやる必要がある。今も昔も、国は違えど変わらぬ葛藤、そして絶望と向き合う人の姿がある。脚のない少女が再び脚を手に入れる事は残念ながら出来ない、だが名前のない少年が名前を手に入れる事は出来る、彼は果たしてその橋を渡れたのか、渡り切れるのか。喪失を抱え込みそれでも前へ進もうとする少年に寄り添うに、この映画はそっと終焉を迎える。
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