青山祐介

夏の夜の夢の青山祐介のレビュー・感想・評価

夏の夜の夢(2014年製作の映画)
4.8
ジュリー・テイモア「夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)」2014年 アメリカ
良いことも悪いこともすべては夏の夜のようであった!
さあ、さあ、御見物の皆様方『なんともたわいのない芝居ではあったが、遅い夜の歩みをまぎらしてくれた(大公シーシアス)』魅惑的な映画=舞台であった。まずは、本物の妖精界の王オーベロン様と、妖精パックにも観ていただきたいと思いながら、夜の夢の世界に引き込まれていった。はるか昔、この世に「妖精の世界」が存在していたころ、芝居に描かれた情景はどこにでもあるものだった。しかし、時代が変わって、妖精をみることはできなくなってしまった。だからこそ、私たちは舞台小屋に通い、夢幻の世界に遊ぶことを熱望するのである。そこは、妖精たちの悪ふざけと、いつの世にもある人間たちの身勝手さと、男と女のちょっとした恋の行き違い(恋とはそんなもの)と、花の秘薬を多少間違えても、大ごとになるわけでもなく、万事がめでたし!めでたし!大騒ぎもただの夢に終わる世界であった。人生は芝居であり、夢であり、旅芸人の心意気であり、嫌味もなければ、悪意もない、やがて来るであろう「あらし」も知らぬげに、すべてが丸く収まり、どんな芝居も所詮は影の世界であった。「夏の夜の夢」は、他の作品とは違って、種本のない、正真正銘の、シェイクスピアの心から生まれたシェイクスピア自身のお伽噺なのである。
ジュリー・テイモアは2010年「テンペスト」でプロスペローを女性にした。その時のヘレン・ミレンの扮する女プロスペローの、悲しみを湛えた眸を忘れることはできない。それはテイモアの悲しみなのか、その意味するものは一体何であったのか、芝居として良かったのか、悪かったのか、それはそれとして、テイモアの「テンペスト」は「夏の夜の夢」に引き継がれている。「夏の夜の夢」は、役者の演技といい、振付といい、舞台の造形といい、見事な舞台となった。テイモアのシェイクスピア劇は、これも種本のない最後の作品「テンペスト」から、「夏の夜の夢」に回帰したといえるのである。
「夏の夜の夢」では、ローレンス・オリビエ賞を受賞した女優キャサリン・ハンターが妖精パックを演じる。ハンターのまるで妖精の生まれ変わりではないかと思える身のこなしと素晴らしい演技は、本物の「妖精パック」自身をも有頂天にするであろう。テイモアの「テンペスト」と「夏の夜の夢」は新しいシェイクスピア劇の幕開けを予感させる。
登場人物の造形―キャサリン・ハンター(パック)とベン・ウィショー(エーリアル)にしても、ヘレン・ミレンとジャイモン・フンズー(キャリバン)、あるいはキャサリン・ハンターとデヴィト・ヘアウッドー(オーベロン)、デヴィトヘアウッドとティナ・ベンコー(ティターニア )にしても、シェイクスピア劇は新しい時代を迎えたのである。ジュリー・テイモアの次のシェイクスピア劇が楽しみである。
『さあ、おいらの世界だ、騒ぎまわるぞ。…今宵、この家はおめでたで…おいらの役目は、この箒、まず先触れに、扉のうしろの塵はらい。…この狂言、まことにもって、とりとめなしの夢にもひとしき物語…いずれ(本物の)パックが舞台でお礼いたします。』シェイクスピア「夏の夜の夢」
青山祐介

青山祐介