麻衣

ハッピーアワーの麻衣のレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.4
考え始めたらキリがなくて、それでもみんな何らかの答えを欲していて、考えるのを避けられないことに濱口竜介は相変わらず真摯に向き合っている。あまりの途方のなさに言葉にすることを諦めたくなってしまうが、監督がこれほど真摯な態度を見せてくれた後にトライしない選択肢はないように思う。
あらゆる物事(とりわけここでは人との関わり方)に対する考えは人それぞれ違う上に、ひとりの人間の中でも流動的だ。この作品に出てくる4人の女性と、それぞれと関わりの深い男性は各々わかりやすく違っているが、現実においても似ているはあれど誰ひとりとして全く一緒なんてことはありえない。
そういうわけだから人と人がわかり合ってうまくやっていくなんて根本的には不可能という結論が当然出てきて、繋がろうと試みては意図せずして人を傷つけ、人に傷つけられて疲弊して終いにはひとりでいることを選択したくなってしまう。
そんなときに濱口竜介の作品を観ると、目を背けなさんなと言われているような気持ちになる。人と人がわかり合うことが不可能であるのと同じように、人が誰かとわかり合いたいと願わないこともまた不可能なんだろうなと感じる。その証拠に、作品中の4人も私も懲りもせず人との関わりを持ち続け、そのあり方を模索し続けている。
そして、人と人が永続的にわかり合うことは不可能かもしれないが、(それが錯覚であったとしても)一時的に、また部分的にわかり合うことは可能である。わかり合えたという感覚を得る瞬間は、重心ワークショップのように身体的に繋がることで訪れるのかもしれないし、言葉を尽くすことで訪れるのかもしれない。
そもそもがこれだけ難しい営みであるとわかってからは、人との関係がうまくいかなくなっても決して悲観的にならなくなった。むしろ、一時的にでもわかり合い、相手を必要とし、相手に必要とされていたことが奇跡で、今までそういう存在であってくれたすべての人に感謝している。これからも自分なりに人との関係を時に繋いで、時に放して、時に繋ぎ直していけばいい。逆も然り。繋がれて、放されて、繋ぎ直されていく。
この作品ではたまたまこの4人にフォーカスが当てられているだけで、現実のすべての人がこうやって切実な日々を送っているのだと考えると、圧倒される思いがすると同時に希望も感じられる。
麻衣

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