そーる

ロブスターのそーるのネタバレレビュー・内容・結末

ロブスター(2015年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

アマプラで鑑賞。

いやあーーこれは難しい作品ですね!

ただ、何かを強制される社会とそれとは違う何かを強制される社会の狭間で生きる者の葛藤を描いているのは明らかでした。

パートナーを見つけなければ動物に変えられてしまう世界で、
その息苦しさから主人公は逃げ出します。
しかし逃げ出した先で出会ったコミュニティも
今度はパートナーを作ってはいけないルールがありました。

誰かと馴染み、組織に属するということは
独りで生きていく選択をしても決して1人で生きているわけではないということを痛感します。

そして、そんな人として生きる世界(社会)と対になるのは紛れもなく動物の世界でしょう。

とりわけ、主人公はロブスターをこう定義しています。
『100年間生殖機能を維持でき、由緒ある暮らしをする海の生き物(主人公は海が好き)』

海から連想される自由というイメージを仮定すると、
主人公は性と個人の尊厳、自由を重んじていることがわかります。

自分の赴くままに性生活のできないこの人間社会。
同じ服を与えられ、同じご飯が配給され、同じ教育を受けるという個人の尊厳が守られない仕組み。
そして、それらがもたらす圧倒的な不自由。

そんな世界にも1人のパートナーとなりうる人物を主人公は見つけたと思いました。
近視の女(レイチェルワイズ)です。
しかし彼にとって愛はおそらく、性的な部分が強く、プラトニックな関係を求めているわけではないのも明らかです。

愛を、"共通項を見出し、共依存すること"という定義をしているこの映画の世界で、
主人公と同じく近視である彼女はまさに運命の人です。

そのため、最後に視力を失った彼女は
主人公にも盲目になることを求めます。

主人公は盲目になれたのでしょうか?

私の解釈は違います。
彼は逃げ出しました。そしておそらく、
ロブスターになる選択をしたでしょう。

もうこの社会において主人公が四面楚歌なのは明らかで、どこに光を見出しても自分の望み通りにはなりません。

であれば、もうロブスターになるしかないのです。

ここで、冒頭のシーンに戻ります。
車を走らせポニー(ロバ?)を射殺する女性。

きっとこの方は、パートナーが何らかの事情で去り動物になることを選んだため、
独りになってしまったことを恨んでいます。

近視の女からすれば、
盲目になるって約束したのに!!独りにされたら捕まって動物に変えられちゃうじゃない!
みたいな感じです。

主人公たちも実際そうなるかはさておき、この冒頭のシーンは明らかにこのシステムに残されたものの憎悪が、このシステムから解放されたものへ向けられているシーンと思います。

これを鑑みるに、
この冒頭のポニーのように、
(近視の)女性と同じ状況になるよりも、
きっとこのしがらみから解放され、
ロブスターとして生きていくことを主人公も選んでいるだろうと推測できるわけです。

なかなか芸術色の強い作品でしたが、
考察しがいがありました。
そーる

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