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グルーモフの日記の河のレビュー・感想・評価

グルーモフの日記(1923年製作の映画)
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エイゼンシュタインは演劇からキャリアをスタートしていて、自身が参加していた『Enough Stupidity in Every Wise Man』という演劇の一部として放映されていたものらしい。この短編内ではメリエス的な手法などの映像的なトリックによって現実には起こらないことが起こる。例えば、映像内で飛行機から飛び降り着地した男が舞台に実際に現れるなど、現実の演技へと引き継がれていく形になっていたらしい。メリエスが引用されているのは演劇だったからなんだろうと思う。

その演劇は労働者階層への芸術の確立を理念としていて、映画だけでなく音楽なども総合的に使用したサーカス的なものになっていたらしく、それをエイゼンシュタインはアトラクションのモンタージュと呼んでいたとのこと。労働者階層に向けていたからこそ、言語によって何かを伝達するのではなく(タイトルもWisemanという簡単なものに変更された)、モンタージュによる感情の想起、その連続的な変化を狙っていたらしい。

また、自身初の映画を撮るにあたってコンサルタント的な形で雇われたのがジガヴェルトフで、この短編はキノプラウダの16に入っていたらしい。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Enough_Stupidity_in_Every_Wise_Man

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Glumov%27s_Diary

演劇の一部なのでこれだけ見てもって感じだけど、この監督が演劇出身だったことすら知らなかったので、思想的な背景含めてかなり勉強になった。実際どうかはわからないけど、芸術が上流階級のものとして回収されてしまっていたからこその労働者向けの芸術で、鑑賞者に文学的な素養がなかったとしても多様な感情を想起させることができる表現方法としてソヴィエトモンタージュがあったんだろうなと思う。それは一方でプロパガンダ的な利用も可能なもので、大衆としての労働者の操作という政治的な要請と一致していたということなんだろうと思った。
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