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ワンダーウーマンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ワンダーウーマン(2017年製作の映画)
3.6
 「男は生殖のために必要でも、快楽には必要ない」これは今作のスーパー・ヒロインのダイアナ / ワンダーウーマン(ガル・ガドット)の言葉だが、監督パティ・ジェンキンスの本質も見抜いた含蓄ある言葉だろう。監督の前作『モンスター』は1980年代のマイアミで、男社会に揉まれ、男たちの性の道具に成り果てながらも、フラッシュバックした自身のトラウマが氾濫を起こす異色の物語だった。今作でも地図にない孤島セミッシラに生を受けた主人公ダイアナは、女だけの帝国/女の園で束の間の平和を謳歌しながら、優れた兵士になるための英才教育を受けていた。セミッシラには彼女たちに精子を提供した男どもは愚か、個体として生まれて来た男の子も登場しない。ある意味、前述の通りの「男は生殖のために必要でも、快楽には必要ない」という言葉通りに女の園は陸の孤島の断崖絶壁の上にある。鍛え抜かれた闘いの種族アマゾン族のアンティオペ将軍(ロビン・ライト)とダイアナの母親でアンティオペの妹であるヒッポリタ(コニー・ニールセン)も、この村の残酷な掟を守りながら、ある種の「女の幸せ」に蓋をして来た殉教者のようである。娘の世代であるダイアナに吹いた波風。大海原の真ん中にヘリコプターが落下し、彼女に救い出されるのは、運命の人スティーブ・トレバー(クリス・パイン)に他ならない。

 スティーブは女性の子宮のメタファーのような大海原からヒロインにより救い出される。ドン・シーゲルの『白い肌の異常な夜』のように、平和な集団は生物学的な男を妨げて来たことにより、束の間の自由を手に入れていたのだが、スティーブとの出会いが彼女の自我を目覚めさせる。境界線の向こうは危険だという助言は、近年の多様化した社会構造を謳ったディズニー映画とも親和性が高い。ワンダーウーマンとスティーブたちの崇高な意思は、アメコミ映画と言いながら、あの禍々しき第一次世界大戦の現場の最前線に立つ。ドイツ軍とイギリス軍が対峙した塹壕の中から、スーパー・ヒロインが土煙と砲弾に曝されながら一歩、また一歩と歩を進める姿は、まさにアメコミ映画新世紀の輝きを放つ。泥だらけになりながらも、一歩ずつ前進するヒロインの姿を、元ミス・イスラエルのガル・ガドットが熱演している。パティ・ジェンキンスの方法論は、『モンスター』でシャーリーズ・セロンに託した演技論の延長線上にある。ただ問題は、後半延々と繰り返される戦闘場面の色味が、果たしてこれで良かったのかに尽きる。本来ならば2Dよりも数倍魅力的なはずの3Dは、極端に彩度を落としたあまりにも暗い画質のせいで、何が起きているのかいまいち判然としない。この色味とポスト・プロダクションの味付けは、今後のDC映画を占うにあたり、はっきりと改善の余地があると云わざるを得ない。
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