TDCC1975

グレイテスト・ショーマンのTDCC1975のレビュー・感想・評価

グレイテスト・ショーマン(2017年製作の映画)
1.0
見逃していた名作を観ようキャンペーンとして鑑賞。楽曲の良さやいわゆる人間賛歌としてのストーリーラインがよく称賛されている印象だが、疑問の余地が残るというか、普通に嫌な作品だった。

いろいろ言いたいことはあるのだけど、まずは実在の人物をモデルにした本作の主人公バーナム。演じるのはヒュー・ジャックマンでどこから見てもダンディで魅力的な男性なのだが、まずサーカスの立ち上げから海外進出まで基本的に挫折がない。それ故傲慢になっていき、中盤では愛する妻や子供たちから距離を取られるんだけど、その解決法が「妻の実家まで行って歌って許してもらう」という点。いや、ミュージカルというフォーマットに則っている以上形式にとやかく言うつもりはないけれど、この男、確か一度も「ありがとう」と「ごめんなさい」を言ってないんですよね。オペラ歌手ジェリーとのスキャンダル(というかハニートラップ?)はある種被害者ではあったとはいえ、目先の利益に目がくらみ家族をないがしろにしていたのは事実だというのに、「すまなかった」の一言もないんですよ。よく奥さん許せるよね。それでラストシーンではサーカスの公演中にも関わらず「子育てに専念する」と言い残し、兼副団長的ポジションのフィリップに丸投げする始末。日系大企業かよ。

このバーナムに関してはちょくちょくムカつくところがあるのだけど、その一つはクライマックス寸前の、サーカスが放火犯によって全焼となり自暴自棄になってバーで飲んだくれているシーン。ジェリーを引き連れた海外公演は途中で中止になるわ、サーカスは燃えて消失するわ、家族には逃げられるわで散々なのはわかるんだけど、それを見かねてやってきたサーカス団員(当時の価値観上仕方のないことではあるかもしれないが、団員のほとんどは髭の生えた女性とか、障碍を抱えた人とか、見世物とされてきた人たち)が歌とダンスで励ます。歌の良さでごまかそうとしているのかもしれんけど、特に説明もなくバーナムは立ち直るという唐突さだが、団員たちもくいっぱぐれており、それは元はと言えばバーナムがジェリーにホイホイついていって自分のサーカスを無碍にしていたからである。ここでもバーナムは「君たちを失望させてしまった、すまない」の一言もない。マジで踊って、なんか立ち直って、出て行った妻を追いかけるだけ。団員たちがピエロすぎるだろ。ほんとの意味でサーカスじゃん。

バーナム周辺以外もそもそものプロットが雑というか、バーナム以外がバーナムにとっての舞台装置としてしか機能していない。サーカスが放火され炎に包まれる中、アン(ゼンテイヤ)がいないことに気づく団員たちを見て、延焼中の建物に単身突っ込んでいくフィリップ。よくある自己犠牲の精神かと思って見ていると、横からひょこっとアンが来る。えっ、じゃあいま突っ込んでいったフィリップは……?もはやギャグである。直後バーナムも建物に走って行き、重症で気絶しているフィリップを抱きかかえて帰ってくる。ギャグかよ。このあとクライマックスまで病院で意識がないフィリップと、見舞いに来るアンの、なんなん?感。なにこれ、日系大企業の仕事ぶりかよ。

あ~思い出してもっとムカついてきたが、最後にこれを残しておきたい。サーカスが焼失したあと評論家がやってきて、「きみのサーカスは祝祭的なものだった」みたいなことを言い放つシーンがある。要は、これまではじきものにされてきた者たちに等しくスポットライトを当てステージに上げた。これぞ本当の多様性じゃいといったところだ。マジでふざけんなよ。そもそも団員たちをスカウトしたときの動機は”君たちなら稼げる”である。その裏に多様性の表明があったとしたら明らかに描写不足だし、そもそも団長も副団長もイケてる白人男性だし、愛する女性のために周りを無視してモラハラ的な言動も起こす。そこ以外にも、全編通してマジョリティから見たマイノリティへのどこか無意識に見下したまなざしを感じる。同窓会でいじめっ子が「あの頃はいろいろあったけど、もう俺たち大人だもんな(笑)」みたいなこと言ってくるような感じ。これのどこが人間祝祭空間なんすか……。こんなんでオスカー獲れるわけないだろ。ジョーダン・ピールの爪の垢を煎じて飲んでこい!!!!!!!!
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