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独裁者と小さな孫(2014年製作の映画)
3.4
 シャンデリアのような鮮やかな光がひときわ印象的な街、ここは架空の都市。ラジオからはまた多くの一般人の処刑のニュースが繰り返される。大統領府の豪華な広間、参謀が処刑されるうちの1人は未成年で、世論の反発が怖いと告げると、大統領は将来、その男がテロの首謀者になったらどうするんだと激昂する。ソファーに腰掛けた軍服姿の大統領(ミシャ・ゴミアシュウリ)の胸には、たくさんの勲章が掲げられている。その膝の上に乗った幼い孫息子(ダチ・オルウェラシュウィリ)の姿。彼はあらかじめ大統領になることを約束されているが、あまり乗り気ではない。ソファーの傍にあるのは年代物の台座と黄金の持ち手をした豪華な電話。この受話器がホットラインとなり、電話口に指示した言葉が全て大統領の命令となるのだ。「街中の電気を消せ」その命令は瞬く間に実行され、目の前に広がるネオンに彩られた都市は一瞬にして暗闇に姿を変える。その光景に大喜びする孫。得意げになった大統領は更なる命令を繰り返すが、闇を帯びた街にもう一度光が灯ることはない。ホットラインの向こうでは電話が途切れ、けたたましい砲撃の音と光が闇の中で不気味にうごめく。かくしてクーデターは突然起こり、人々を圧政と恐怖政治で苦しめた大統領は突如、居場所を失う。

取るものも取らず、リムジンに乗り、公邸を逃げ出す家族の姿。引き下かれる孫と幼馴染マリアの絆。孫はマリアの名前を何度も叫ぶが、大階段に並べられた人柱がその余韻をかき消す。数年間口を聞いていない姉妹の不仲、此の期に及んで大統領たらんとする権力者の見苦しい姿。あまりにも皮肉な光景が繰り広げられる中、大統領は孫に対し、建設中の大統領府を指差し、あそこがお前の居場所なんだと呟く。空港にたどり着くと、ヘリコプターに家族を乗せて国外逃亡しようとするが、孫はマリアとおもちゃに執着し、言うことを聞かない。仕方なく孫とここに残ることを決めた大統領は、しばし家族に別れを告げ、再び国に戻る。しかしその運命には皮肉な展開が待ち構える。焼かれる肖像画のポスター、民衆たちの怒りのシュプレヒコール、投げられる火炎瓶、制御出来ない警察隊、黒色のリムジンと白い羊たちの俯瞰ショット。リムジンの外で繰り広げられる光景は、みるみるうちに現実感を失う。その様子を呑み込めず、ただ呆然としながら見つめる孫の姿は、スピルバーグ『太陽の帝国』によく似ている。状況の悪化に空港への退去を余儀なくされた大統領御一行は、そこで兵士たちの手のひら返しに遭い、身内を殺された大統領は孫と2人だけの逃避行を繰り広げなければならない。

多くの勲章と誇りを纏った軍服を脱ぎ、髪を切りカツラを被り、子供からギターを奪い、旅芸人に扮する大統領の転落劇は随分滑稽で皮肉だが、この逃亡劇は根源的に流転するロード・ムーヴィーとしての性質を帯びる。5歳の孫息子の純粋無垢な表情は独裁者の合わせ鏡となり、何も知らない孫息子の問いかけが元大統領を苦しめる。悪臭漂う牛舎で、寒さのあまり段ボールに包まり、手と手を握り合う姿。物悲しいギターの響きとともに、孫息子が踊る円舞曲。白いドレスにさくら色の帯をまとったマリアとのかつての思い出が、マリアという同じ名前を持つ売春婦と交差し、聖なるマリアのイメージは一転し、俗にまみれる。白いドレスを纏った新婚妻の悲劇、最愛の妻のもとへ戻った帰還兵の挫折。ここで何度も繰り返されるのは、母性を求めて失墜する男たちの姿に他ならない。孫息子が追い求めた幼馴染の名前が、イエス・キリストの母である聖母マリアと同じ名前なのは何かの偶然だろうか?今作がイラクのフセイン政権やいわゆる「アラブの春」という名の民衆デモのメタファーであることは想像に難くない。クライマックスの命を懸けたディスカッションの描写が息を呑む。その間、主人公たる元大統領は一言も言葉を発さない。無言の主人公の姿、何も知らずにただ無邪気にワルツを踊る孫の姿に我々観客が何を感じ、何を考えるのか?マフバルバフはしばし我々に問いかける。彼は現在もイランを離れ、パリで亡命生活を送っている。アフマディネジャド大統領とイラン当局に睨まれ、何度も暗殺の憂き目に遭い、自国に戻る目処は今も立たない。
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