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殺人者は我々の中にいるのKientopp552のレビュー・感想・評価

殺人者は我々の中にいる(1946年製作の映画)
4.0
 本作の撮影作業は、1946年3月16日から同じ年の8月まで続いた。(この撮影中の5月に、のちのDDRの映画会社となるDEFAが設立される。)撮影の一部は、バーベルスベルクにあったスタジオなどでの室内撮影であったが、それ以外は、伝統的な劇映画の撮影には珍しく、本作では野外撮影が多く、ベルリン旧市街地に近いStettinシュテティーン駅、ベルリン中央区にあるPetriペトリ教会、ベルリン旧市街地から南東の「東駅」付近の市街地なども含め、未だに瓦礫に埋もれたべルリンの街々が、今日から見ると、それだけでも歴史的価値がある映像として、撮影されている。

 という訳で、戦後ドイツの映画ジャンルとして、いわゆるTrümmerfilmトリュマー・フィルム、即ち「瓦礫映画」というジャンルがあるのであるが、本作は、これら「瓦礫映画」の第一号であり、同時にまた、戦後ドイツで撮られたドイツ劇映画の第一作目でもある、ドイツ映画史の記念的作品となる。それ故、映画史100年の絡みで、1995年に映画史家と映画ジャーナリストに対してなされたアンケート調査では、本作がドイツ映画の中で最も重要な100本の作品中の一本に選ばれたことは、当然であると言え、1996年に西部ドイツ放送局制作のテレビ映画『人殺しは我々の中にいる – 1946年 – ドイツ戦後映画の第一作目』(監督は、Thomas Pfaff とPaul Eiselの両名)が撮られている程である。

 1946年10月15日にソ連軍政局管轄地域内にある映画館で初上映された本作は、その約半年後には西部ドイツでも上映され、新生ドイツへの「信仰告白映画」として、また、成功した作品として、海外でも上映され、ある本によると、1940年代末までに約500万人が本作を観たと言う。
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