せーじ

ボス・ベイビーのせーじのレビュー・感想・評価

ボス・ベイビー(2017年製作の映画)
3.6
327本目。公開当時話題になっていて気にはしていたものの、観る機会が取れなかった作品。今回ルーレット企画をやるにあたって、リスト入りしてみました。見事当たり、鑑賞。




…うん、まおも(まぁまぁ面白い:ⓒmarrikuriさん)だとは思います。
ただ…話としてはどうなんでしょうね。なんだかなぁ…とも思ってしまいました。

■「アニキはつらいよ」問題の行方
皆さんは、赤ちゃんと触れ合う機会がある時に、やたらオーラがある「ボス(社長)っぽい赤ちゃん」に出逢ったり見聞きしたことはありませんか?自分は何度かあります。わがままで常に威張っているという様な表面的な「社長っぽさ」だけでなく、なんて言うんでしょうかねぇ…佇まいというか醸し出している雰囲気が「社長」な赤ちゃんって、時々居ますよね。キミは人生何周目?みたいな。雑に言ってしまうと、この作品はそういう赤ちゃんが活躍する映画だと言っていいと思います。
それだけだと説明にならないので、もう少し冒頭のあらすじを説明すると…

今年7歳になった空想が大好きなティム少年は、お父さんとお母さんと三人で楽しく暮らしていました。しかし、そんな日々はある日突然終わってしまいます。タクシーに乗ってやってきた小憎たらしいアイツ、ボス・ベイビーによって。

こんな感じでしょうか。
親切にも、いっちばん最初に「主人公は空想好きな少年である」と注釈を入れてくれているので、そこから先のぶっ飛んだ描写の数々は「実際に起きている描写ではない」というのがよく分かるようになっています。時々両親視点の映像を入れてくれているので更にわかり易いですよね。ただし、あのぶっとんだ描写の数々は「ウソ」だというのとはちょっと違っていて、あれらはティム少年のイマジネーションによる「喩え」なのではないかなと自分は思いました。「本人にとっては、これくらい"おおごと"な出来事だったのだ」と。彼には「ボス・ベイビー」がああ見えてしまったのだということなのだと思います。
そう捉えていくと、この作品の訳の分からなさにもある程度の道筋を立てて考えることができるのではないかと思いました。

■疑問に思う本作の「テーマ」と「結論」
そんな経緯もあってティム少年は両親を「ボス・ベイビー」に取られたと思い込んでしまいますが、厳密に言うと別に取られた訳では無いのですよね。本編をよぉく見ると、両親は放置するわけにはいかない赤ちゃんの世話に忙殺されて、ティム少年を構う暇が無くなってしまう…というだけだったのがよくわかると思います。両親が食べかけのピザなどを放置してソファで死んだように寝ていたのは、そうせざるを得ないほど、赤ちゃんの世話に時間を使わされていたというあらわれでしょう。でも、ティム少年はそうだと誤解してしまう…ということになってしまう訳です。これは無理もありません。大人ならいざ知らず、幼い子供だったら生活環境がいきなりガラッと変わってしまえば、誰だって戸惑いますよね。
それだけなら、ティム少年とボス・ベイビーとが歩み寄ればいいという方向で描けばいいだけなので話としてはまだシンプルなのですが、この作品はここでもう一段階、別の要素を入れてきます。それは「実はボス・ベイビーをはじめとするエケチェン達もティム少年と同じ様な立場になりつつあり、大人たちは彼らの様な存在にどんどん愛情を向けなくなってしまっている」という「危機」が描かれるというものでした。つまり平たく言うと「子供をこさえて育てようとする選択をしない大人が増えている」と描いているのだとも見えてしまう訳です。…なんだかきな臭くなってきましたよね。自分が「どうなのかな」と思ったのは、まさにこのあたりの部分からでした。そして結末と結論も。
後半、ある出来事によって両親は仕事の為にティム少年とボス・ベイビーをベビーシッターに預けることになるのですが、それがティム少年にとって「不幸なこと」であると描かれていくのですよね。そして巻き起こる様々な出来事の果てに、エンディングでまるで予定調和の様に「やっぱりみんなで一緒に暮らすことができるのがいいし、お互いが思いやれる家族愛が大切だよね!」という結論に達してしまう訳なのです。そこで自分はんんー??ちょっと待て待てー??と思ってしまいました。自分の受け取り方がおかしいのかもしれませんが、そういった方向に物語を還元していくのって、今の時代どうなのかなぁと思ってしまったのです。そうではなく、人それぞれさまざまな「選択」を尊重しあえる世の中がいいよね!としたほうがいいと思うのですよね。いいじゃないですか、「我が子として」ペットを飼うことを選ぶ人が居たとしても。子育てだって、何も必ずしも両親がイチから百までやらなければならない訳でもないですよね。そこがなんだか、結論としては窮屈だなと思ってしまったのです。

■描いてほしかった概念
それとは別に個人的に描かれていなくて残念だったな…と思ってしまったのは「それなら、ティム少年自身は"ボス"ではなかったのか」という概念でした。
「あの会社」の雇用システムであるならば、ティム少年もかつては「所属」していた可能性があっても不思議では無い訳ですよね("選別"の時点ではねられていたのかもしれませんが)。というより、こういう話を扱う以上「手前はどうだったのか」ということを省みる視点ってとても重要だと思うのですよね。ですが、残念ながらそういう概念はこの作品では見ることができませんでした。ティム少年の後釜がボス・ベイビーだった…とかなら、もっと面白い話になるのに惜しいなぁと思ってしまいます。最後、ボス・ベイビーが写っている写真の代わりに"ボス"だった頃のティム少年の写真に差し替えられたりしたらよかったのに。
童話が原作だからなのかもしれませんが、全体的に子供が喜びそうな要素がふんだんにあって、それはそれでとても面白かったのですが、書いてきたように実はゴリゴリにハイブロウな部分もあって、政治的な要素もチラチラ見え隠れしているのではないかと勘繰りたくなってしまう作品だなと思ってしまいました。まぁ自分は既に『17歳の瞳に映る世界』や『存在の無い子供たち』とかを観てしまっているので、こう思ってしまうのは仕方が無いことなのでしょうけれどもね。

※※

ということで、まぁまぁウェルメイドな「まおも作品」なのではないかなと思いましたが、下地として敷かれている考え方にはノることが出来ませんでした。数々のオマージュ描写や、アニメーション自体の出来はとても素晴らしかったですけど、特に終盤に向けて演出の「タメ」や「ヌキ」がどんどん無くなっていってしまって、ベルトコンベア的に展開がやって来る感じになってしまっていたのもちょっと残念だったな…と思います。
興味のある方はぜひ。
せーじ

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