Yukiko

ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂のYukikoのレビュー・感想・評価

4.4
2019年1月11日
『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト発登頂』
             2013年ニュージーランド制作
監督、リアン・プーリー。

1950年代、チベット側のエベレスト登山は中国の支配下で
使用できない。
ネパール側は年に1組だけの限定で入山許可を発行していた。
ヨーロッパの各国がそれぞれエレベストにチャレンジしていく中、
イギリスにとって大英帝国の威信にかけて、1953年の遠征隊が
イギリス初登頂を狙う最後のチャンスだった。
400人の大登山隊の中、第1次アタック隊はイギリス人登山家、
が、もう少しと言うところで、体力と酸素不足で登頂を断念した。
シェルパの中でもリーダー格だったテンジン・ノルゲイは
エベレストの頂上に登りたがっていた。
そして、エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイは第2次
アタック隊に選ばれ、初登頂のチャンスとなった。


いやはや、ドキュメンタリーかと思うほど、迫真の演技でした。

ナレーションにて、装備の酸素ボンベの話を分かりやすく説明。
今の時代と違い、酸素ボンベの性能が命取りになった時代です。
エベレストを無酸素で初登頂したのは、1978年のラインホルト・
メスナーとのこと。

それにしても、エベレストの初登頂が国家の威信に関わる…って
ところが謎。
山の頂上に立つことが、何故国家プロジェクトに成るのか?
他国のどこよりも、一番乗りにこだわっていたのか。
国民を鼓舞することが目的か。
まだまだ大英帝国は健在、強いんだゾ!というところを
証明したかった?
それとも、イギリス国内で作った装備品を身につけて初登頂を
するところが重要?

エドモンド・ヒラリーはニュージーランド出身で、
テンジン・ノルゲイはネパール人。
イギリスの登山隊に参加はしていたけれど、イギリス人ではない。
第1次アタック隊のイギリス人2人は登頂できなかった。

もう一つ分からないところは、この頃の登山家が高学歴な
上流階級出身の方々が多く、その方々の冒険の象徴のような
感じさえします。
イギリスではその時代、冒険が流行っていたのでしょうか。

ニュージーランドも良い映画を作りますねぇ!!!
Yukiko

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