これから記すエピソードは、私個人の"恐怖体験"を綴ったものであり、本作品との直接的な繋がりはございません。
お時間のあるときにおつきあいいただければ幸いです …
( 結末はコメント欄に記しておきます。)
" 苦痛というものには限界があるが、恐怖にはそれがない "
-- プリニウス二世 「書簡集」 より --
"えっ! もうこんな時間?"
199X年、夏。都内某所にて。
職場の仲間たちとのひさしぶりの飲み会が大いに盛り上がり、その頃埼玉県在住だった私は、知らぬ間に終電を逃してしまっておりました。
"あ~あ、かなりの出費になるけど、こりゃタクシー拾うしかないか。
… ん? この建物は?"
周囲にそびえ立つ高層ビル群に見おろされる格好でうずくまっている、ちっぽけな2階建てのビジネスホテル。
全体的にかなり老朽化が進んでいるようです。
"えっと、宿泊料金は …
「お一人様 一泊 3000円」?
これってタクシー代の半分以下やん!
よし、今日はここに泊まるぞ♪"
いま思えば、駅前の勝手知ったる24時間営業のカフェで、始発を待てばよかったのに。
私はこの時すでに、日常の片隅に生じた"異界"の入口へと惹きつけられていたのですね…
" 2階の 20X号室 へどうぞ。"
薄暗いフロントから顔を覗かせた無表情なお兄さんからルームキーを受け取り、よりいっそう暗い階段を上って、いよいよ問題の"Room 20X"へ。
"?? ? …… 部屋の中まで薄暗いぞ?"
間接照明ではなく、ごく普通の蛍光灯がむき出しで備え付けられているのに…
部屋中に微かに漂う、鉄錆びのような匂い。
古びたテレビは、かろうじて映りはするものの、画面全体が緑色にぼやけています。
そして周りを見渡すと、壁や天井のあちこちには点々と、まるで何かが飛び散ったような赤黒いシミが …
"これが一泊3000円の世界ね。
ま、シャワーでも浴びるか。"
ひきつった苦笑いを浮かべながらバスルームへ。
さいわいお湯はちゃんと出ますが、こんどはアメニティの類いがまったく見あたりません。
"おいおい、どうやって体洗えばええねん。
…え、まさかこれ?"
バスタブのへりの部分に無造作に置かれている、数センチ四方のダークグリーンの塊 …
どうやら固形石鹸らしいけど、明らかに前の宿泊客からの使い回しです。
そして洗面台にわずかに残る、長い髪の毛 …
残念だけどサッパリするのは諦めて、軽くシャワーだけ浴びることにしました。
数分後、薄気味の悪いバスルームから出ると、あとはもう寝るしかありません。
でも根っからの夜型人間である私は、そう簡単に眠りに落ちることもできず…
"うぅぅん、目が冴えてきた。これは困ったな。"
何しろスマホもない90年代。
壊れたテレビの灯りで緑色に染まった部屋のなかで寝返りばかり打っていると …
…コンコン……コンコンコン……コンコンコンコン
小さなノックの音が。
時刻は午前2時30分。
ルームサービスを頼んだわけでもないのに、こんな丑三つ時にいったい"誰"が訪ねて来ると言うのか。
頼りない蛍光灯の光がさらに弱まり、室内の温度が急速に下がっていくような、この感覚。
まさかこれって …
" たのむ。このまま立ち去ってくれ… "
… 10秒 … 20秒 … 30秒 ……
震えながらシミだらけの天井を見つめ続けること約1分。
" … あぁコワかった。でも、もう大丈夫やな♪"
緊張が解けたとたん、急に猛烈な睡魔が襲ってきます。
"よし… こんどこそ… ぐっすりと…… ? "
コンコンコン…コンコンコンコン……コンコンコンコン … コンコンコン …
どうやらこの正体不明の来訪者は、諦めるつもりなどないようです …
「"それ"の呼びかけに応じるな!」
"内なる声"が警告を発していますが、もはや私の肉体は"来訪者"の呪縛から逃れることができません。
半ば夢うつつのままベッドから起きあがり、音のする方へ …
「 目を覚ませ!"それ"には近づくな! 」
気がつけば、私はすでにドアの前に立っています。
「やめろ!"それ"を見てはいけない!」
吸い寄せられるようにドアスコープを覗きこむと、
" げぐっ!!!!!!!!!!!!!!!!!"
そこには、扉の前にじっと佇む、ほっそりとした女性の姿が …
長い髪、揺らめくワンピース。
逆光に浮かぶそのシルエットは、どう見てもこの世のものとは思えません。
先ほどまでの眠気は、一瞬で吹き飛んでしまいました。
" ウソやろ… ウソやろ… 夢であってくれ… "
…コンコンコンコン……コンコンコン……コンコンコンコンコン
次から次へと背中を伝わる冷たい汗。
こみ上げる悲鳴をやっとの思いで抑えつつ、息をひそめていると、
……… ス み マ セ ン ……… ア ケ て ク ダ サ イ
ドア越しに奇妙な囁き声が聞こえます。
……… オ ね ガあああイ ……… あ kE テぇ …
やがて