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プリズナーズ(2013年製作の映画)
3.6
 アメリカ・ペンシルヴェニア州の田舎町、父親ケラー・ドーヴァー(ヒュー・ジャックマン)とその息子のラルフ(ディラン・ミネット)は感謝祭の肉を狩りに森の中に分け入る。信心深い父親はお祖父さんの名前を出し、神に祈りを捧げる。白樺の木々の間から顔を出した一頭の鹿、横を向き、銃口に気付いていない鹿に向かって息子のラルフは一発で仕留める。クリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』のような理想的な父子関係、11月末の感謝祭の午後、曇りがちな空の日にドーヴァー家は近所に住むフランクリン・バーチ(テレンス・ハワード)の家を訪ねる。七面鳥ならぬ鹿肉をこしらえた隣人との優雅なディナーの席、ラルフは幼馴染のイライザ(ゾーイ・ソウル)と何やら親しげにイチャつくが、目の前に白いRV車のキャンピングカーによじ登ろうとする末娘たちを発見し、急いで止めに入る。ダイニング・ルームでは酒も入り、ほろ酔いのフランクリンがお得意のサックスでアメリカ国家を披露する。辺りでは夕方から大雨が降り始め、地下室で映画を観ていたラルフとイライザの元に、アンナたちは遂に姿を見せることがない。忽然と姿を消した末娘のアンナとジョイ、ケラーは早速、ペンシルヴェニア州警察に通報する。ガソリンスタンドの駐車場、手配中のRV車を発見したロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)にとって、今回の少女2名誘拐事件は簡単なヤマになるはずだった。

 感謝祭の夜、食卓での祈り、部屋に飾られた十字架、酩酊した神父など、今作はキリスト教的宗教観を随所に散りばめながらも、神の道を違えてしまった男の悲劇を浮き彫りにする。ドーヴァー家とアレックス・ジョーンズ(ポール・ダノ)の家族は最初から崩壊している。PTAの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のサンデー兄弟に続くポール・ダノの怪演ぶりは本当に素晴らしい。6歳の時に両親が死に、叔母に引き取られたアレックスは新しい環境に何とか順応しようとするが、その矢先にホリー・ジョーンズ(メリッサ・レオ)と夫(デニス・クリストファー)は離婚する。キャンピングカーでアメリカ各地を回っていた頃がジョーンズ家の幸せだった時代であり、両親の突然の死、義理の両親の離婚が彼を幼児退行させてしまう。一方で冒頭、良き父親を演じていたはずのケラー・ドーヴァーも深い病巣を抱えている。工務店店主を務めるケラーにはかつて、地元の名士で刑務所の看守だった自慢の父がいたが、その悲劇的な死の真相をロキ刑事は感じ取る。やがて入り込んだ地下室の異様な備蓄状況を見て、ロキ刑事はケラー・ドーヴァーの強迫観念や深い心的トラウマを確認するのだが、そこに妻はおろか、息子や刑事さえもまったく介入しない物語上の展開が惜しい。今作において、被害者の父親であるケラーはただひたすら野放図な振る舞いが許され、何らかの外部的な圧力が一切加わることがない。それは果たして是なのかそれとも否なのだろうか?

 デヴィッド・フィンチャーの2007年作『ゾディアック』において、風刺漫画家ロバート・グレイスミスを演じたジェイク・ギレンホールの演技は明らかに同一線上の演技が求められ、心底陰惨ながら未解決の事件に全力で投入されたはずだが、ロキ刑事の無能ぶりはあまりにも腑に落ちない。そもそもTVの報道ニュースに取り上げられるような少女2名誘拐事件に対し、ペンシルヴェニア州警察はロキ刑事1人しか捜査につけられないほど、犯罪が多発しているのだろうか?また被疑者であり、第一重要参考人であるアレックス・ジョーンズの所在を把握出来ていない警察組織の怠慢は断罪されるべきではないか?マスコミの車がドーヴァー家の前に張る中で、いとも簡単に事に及ぶケラー・ドーヴァーの姿は著しくリアリティに欠けるし、そもそも任意同行や取り調べを求めた被疑者が、保安検査なしでペンシルヴェニア州警察の取調室の中に入れたとはとても思えない。このように今作の脚本には幾つかの決定的な綻びが生じている。しかしながら、行方不明の娘を思う両親の描写は、真にヨーロッパ的なリアリズム重視の移民映画の様相を呈した前作『灼熱の魂』とは180°転換し、『ゾディアック』やクリント・イーストウッドの『チェンジリング』のようなハリウッド映画の典型的な話法への劇的な変換を試みる。ヨーロッパ的な物語からハリウッド的な物語構造を讃えた物語へ、その試みの成否は観客に委ねられるものの、起こる事件を骨太に据えたドゥニ・ヴィルヌーヴの圧倒的力業は今作で決定的となる。だがウェルメイドな作品を求められたはずのヴィルヌーヴは今作を2時間30分超えの大作に仕上げてしまう。クライマックスのあの描写は厳しい言い方になるが、ウェルメイドに仕上げるならばあと8分フィルムが足りない。
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