emily

グロリアの青春のemilyのレビュー・感想・評価

グロリアの青春(2013年製作の映画)
3.8
 チリ、サンティエゴで、キャリアウーマンのグロリアは58歳、子供たちはすでに自立していて、離婚も経験している。中年の独身者たちが集うダンスホールに夜な夜な出かけてダンスを楽しみ、そこで出会ったロドルフォと一夜をともにし、二人はよい関係を築いていくが、彼には元妻の影が、グロリアにも元夫の影が二人の心を揺るがしていく。

 グロリア(栄光)の青春といっても彼女は58歳の女性である。子供たちとの関係性を描き、そこに漂う孤独感を閉鎖的なカメラワークで見せ、少女のように赤い口紅を塗って、ダンスホールで男を物色している。家に帰れば上の住人の生活音や叫び声に悩まされている。それでも悪くない日々だ。車を運転しながら歌謡曲を口ずさむ彼女の毎日、孤独の中にもしっかり楽しみもある。ロドルフォと出会ってから始めの問題がさく裂するのが、息子の誕生日に彼も同伴した時のことだ。当事者だとなかなか気が付かないことが、観客にはその不穏感が痛いほど見えてくる。それぞれの身勝手さ、過去がしっかり今に影響を与え、それによっての行動が相手を傷つけていく。

 アコスティックの生演奏や、ストリートパフォーマー、デモ行進など日常に映り込む生活の環境が彼女の人生に静かに寄り添い、58歳になっても何も変わっていないあの頃のままの彼女がいる。ハッパを吸って、ネオンが浮かび上がる中ジャングルジムでぐるぐると周り、光が交差し、朝目覚めたら砂浜で寝ていたりする。その一方で緑内障が進み、目薬が手放せない。いくら青春気取っても、体は年齢相応に朽ち果てて、そのギャップから虚しさがしっかり浮かび上がってくる。当然いくつになっても人生楽しめるし、いくつになっても青春できる。ただ本作を底抜けた明るさを全く感じない。そこからは虚しさだけが流れている。それはロドルフォに対する身勝手な行動の数々から彼女の価値観が見えるからかもしれない。

 いくら青春しても、心はわかってる。体はわかってる。白いクジャクをみて、自分の顔を鏡でみる。こんなにも年取って、こんなにも醜くなっている。自分に残ってるのはそれだけだ。年齢を重ねるということは、やはり重い荷物を降ろしていくこと。多くのものを求めても手に入らない。大事なものはいつでも近くにあり、それを大事にせず現状でもがくことの無意味さを体感してきてるのだ。些細なグロリアの恋と青春物語からは、彼女の生きてきた背景がしっかり映り込んでおり、人生の根本的な問いがしっかり糸を引っ張ってくれる。そうして自分の人生に誇りの持てる人生を送りたいと。年齢を重ねたとき、大切なものがしっかりそこにある人生を。
emily

emily