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トム・アット・ザ・ファームのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.8
 都会で広告代理店に務める主人公トム(グザヴィエ・ドラン)は、ゲイの恋人ギョームの葬式に出るために彼の実家である田舎の農場を訪れる。そこには年老いた母親と農場を継いだ兄がいた。全てを知る兄は何も知らない母親の前で主人公に嘘をつくように強要し、次第に主人公の心を支配していく。前作までの愛することへの葛藤と痛みを綴った作風とは一転し、田舎の閉鎖的な環境の中で心を支配されていく主人公の内面を描いた作品で、ジャンルとしてはサイコ・サスペンスに分類されるのだろう。年老いた母親は最初はトムを歓迎するが、息子ギョームの恋人は女性であると信じており、なぜ恋人は姿を現さないのかとトムに詰めよる。兄は最初からケンカ腰で、母親の前で体裁を整えることしか考えておらず、トムに嘘をつき続けるよう強要する。映画の中では主人公のパートナーであるギョームが、何故死ぬことになったのかは最初から最後まで明かされない。それ以上に重要なのは、これまでのドラン作品の根底にある父親不在である。ドランの映画の中では、父親の存在は最初からいなかったり、あまりにも影が薄かったりする。対照的に、どの映画の中でも母親の存在は重要なウェイトを占める。今作の中でも、若くてそれなりにハンサムで牛を40頭以上飼育する大酪農家の農場主である兄は、母親との2人暮らしを頑に辞めようとはしない。

 口では5年後には老人ホームに入れるなどとうそぶいているが、兄貴は閉鎖的な環境に自分を閉じ込めている。映像はスタンダードから再びビスタ・サイズに戻り、荒涼とした農地を据える。畑の中に1本伸びた道をシンメトリーで据えた空撮シーンが素晴らしい。ドランらしいカラフルな色彩はなりを潜め、ただひたすらどんよりとした曇り空が続く。前作まで見られた独白シーンや第三者のクローズ・アップの挿入はない。トムとギョームの母親と兄貴の危ない不寛容な人間関係の中で、狂気をあぶり出す。やがてギョームの嘘の恋人であるサラが来たことで、母親の怒りは沸点に達する。クライマックスではそれぞれの表情をクローズ・アップで撮ったショットが連結され、ある種の高みを演出する。相変わらずカメラは登場人物たちの背中にぴったりと張り付いて離れない。正面よりも背後に回り、観客に表情でわからせる芝居をしない。今作についていわゆるストックホルム症候群を扱った映画と評するのは容易い。ドラン映画で、不寛容なところから抜け出そうとする人物と、そこに留まろうとする人物とは常に葛藤している。
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