カラン

海の沈黙のカランのレビュー・感想・評価

海の沈黙(1947年製作の映画)
3.5
ロッセリーニの『無防備都市』(1945)はナチスが撤退し、戦火を避けるために、非武装地域になったローマやフィレンツェの映画だった。その少し前、1940年にナチスがフランスに侵攻してからわずか1月で、パリは放棄されて無防備都市となる。本作の原作はパリがナチスドイツによって占領されていた1942年に地下出版された小説で、レジスタンス文学の記念碑的な作品であるらしい。ヴェルコールという作家名になっているが、偽名らしい。

監督のメルヴィルは、同じくレジスタンスに参加していたが、小説を読んで、映画化を決意したようだ。ところがヴェルコールは首を立てに振らない。しかし、メルヴィルは強引に映画を作ってしまったらしい。こうした自主制作のヒロイックなスピリットは、ヌーベルヴァーグの作家たちをインスパイアしたのだろうが、本作の舞台となる老人と姪が暮らす家は、ヴェルコールの自宅でのロケセットである。だから、ヴェルコールが簡単には首肯しなかったのは事実だとしても、承諾なしに映画を作ったというのはいささか脚色の施されたエピソードなのだろう。

さて、うんちくが長くなったが、映画外の諸々を映画の評価に持ち込むのはほどほどにした方がよいだろう。レジスタンス文学に由来するのであっても、ロッセリーニの『無防備都市』やアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』(1958)ほどには冒険できていないように思える。

本作はティルトで始まり、右に左にパンをする。ドイツ将校を演じたスイス人のハワード・ヴァーノンの堂々した演技も立派だが、映画の90%がヴェルコールの自宅内で座っている人と立っている人のどちらかによるモノローグなのである。モノローグというのは、老人の回想によるナレーション以外は、ドイツ将校は話すのだが、老人も姪も返事をしない、それが彼らのレジスタンス、海の沈黙、なのである。時折、手持ちカメラのアンリ・ドカエによる屋外の木の葉の、信じがたい真昼の存在感で静寂と生命を両立するモノクロームには息を呑む。しかし、9割が屋内での静止した状態でのモノローグというのは、映画ではなく、小説だろう。世間では小説と映画の区別がつかない人が多いが、昔からそうなのだろうか?

フランスを侵略したナチスの将校が老人と姪の家を仮の住まいにする。老人と姪は言いなりにはなるが、目も合わせないし、口もきかない。しかし、将校は芸術を愛する精神性の高い男で、フランスの文化を愛し、姪と結婚したいと思っている。

この映画は上記したことを狭い室内で表現する。姪はユダヤ人で、資金が乏しいこの映画を財政的にも支えたと言われる、原作者ならびに映画監督と同様にレジスタンスをしていたという、ニコール・ステファーヌが演じた。

後年、ブレッソンに似ていると言われたメルヴィルは、ブレッソンが自分に似ているのだと激怒したらしい。ブレッソンの『田舎司祭の日記』(1950)のナレーションと沈黙の人物たちは非常によく似ている、『海の沈黙』に。

Blu-ray。
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