netfilms

わたしはロランスのnetfilmsのレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
4.3
 モントリオールで国語教師をする男とその恋人の物語。社会的に恵まれた地位を持ち、一見何不自由のない生活をしているが、周囲にある秘密を打ち明けられないため、主人公の心は満たされない。その秘密とは「性同一性障害」である。生物学的性別と性の自己意識が一致しない状態で、トランス・ジェンダーとも呼ばれる。21世紀の今では一般化し、広く知られるようになった医学的疾患だが、今作の舞台はその病気への認識が薄かった1990年代を舞台にしている。30歳の誕生日、ロランス(メルヴィル・プポー)は、交際相手のフレッド(スザンヌ・クレマン)に自分が性同一性障害であることを告白する。肉体関係もあり、パートナーの男性としての部分に満たされていたフレッドは当然のごとく戸惑い、激しい違和感を拭うことが出来ない。これまで2人が築いて来たものが急にないがしろにされたことに激しい憤りを感じるがフレッド自身、ロランスへの愛情を捨て去ることが出来ない。この葛藤と痛みこそがグザヴィエ・ドランの真骨頂である。『マイ・マザー』では親子間の絶望的な隔たりが描かれ、『胸騒ぎの恋人』では性差を超越しない三角関係の不和が描かれた。そして今作では性同一性障害の男とその恋人の葛藤を通して、愛そのものが描かれる。

 加えて今作を特徴付けているのは画面サイズの変化である。『マイ・マザー』と『胸騒ぎの恋人』ではビスタだった画面サイズが、スタンダード・サイズに変化している。これまでは横長の画面の中で印象的な2ショット、3ショットが度々用いられたドラン作品だが、今作では余程のことがない限り、1ショット切り返し以外の選択肢がない。しかしその構図の限界を逆手に取るような映像の挑戦が次々に行われている。ロランスとフレッドの車内の会話では、後部座席から2人を背中越しに撮る。決して正面に回って2人の表情を映そうとはしない。それはロランスが初めて女装をし、教壇に上がる場面も同様である。カメラは席に着く生徒たちの表情を決して追わない。あくまで正面に起立したロランスの姿だけを映すのみである。この2つの例でも明らかなように、今作には印象的な後ろ姿が何度も見られる。教室から食堂までの長い廊下を歩くロランスの後ろ姿、バーでケンカをして傷ついた顔で歩くロランスの後ろ姿、ロランスへの思いを断ち切り、別の人生を歩もうと決意したフレッドの後ろ姿尋常ならざる後ろ姿への思いが、スタンダード・サイズで露わになる。また前作『胸騒ぎの恋人』でも垣間みられた印象的な色味の幻想的シーンががここでも見られる。
netfilms

netfilms