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海がきこえるの都部のレビュー・感想・評価

海がきこえる(1993年製作の映画)
4.0
ジブリ映画史上最高のヒロインが登場する とても大事で大好きな映画。従来のジブリにある壮大な世界観や使命感を帯びた目的には欠くが、瑞々しい学生達の遣り取りと情緒的で郷愁を煽る進行は無二で、二人きりの東京旅行の一部始終と夜の高知城を巡る一幕は色褪せず素晴らしい。

ところで本作は初めから劇場映画だった訳ではない──日本テレビ開局40周年記念番組として1993年夏に放映されたスタジオジブリが手掛けるアニメ作品であり、その年の12月改めて劇場映画として全国公開されたジブリ史としても異色の経緯を帯びている。

また異色といえば、
この作品の制作には宮崎駿と高畑勲が関与しておらず、当時のジブリの新進気鋭のスタッフ達により手掛けられた。その為に前述したスタジオ従来の作劇や演出からは些かの逸脱が見られ、だからこそ宮崎.高畑両名を監督とする映画には存在し得ないものが数多く散見される。

その最たる例が、語り部:杜崎の通う高知県の進学校に転校してくるヒロイン:武藤里伽子だ──彼女がとにかく素晴らしい。

誤解を恐れずに述べれば、
この映画は杜崎の視点を通して観客もまた彼女との対話を迫られるような映画であって、無軌道で無遠慮な彼女の振る舞いに振り回されながらも、その魅力に無抵抗に取り憑かれるような感覚がある。少しばかり主観的な物言いだけれど、客観的に見ても等身大の高校生である彼女達の言動は瑞々しさに満ちており、感情線の繊細な流動を72分で描き切り、それがカットやシークエンスに極めて情緒的な形で連続的に起こされているのはやはり見事だと思う。

杜崎と里伽子のダイアローグはどれもこれも印象的だが、二人だけの行きずりの東京旅行での会話はシチュエーションも込みで全てが最高だ。

この映画は行き場のない気持ちとそれによる行き詰まりに直面する少年少女を描いている。
だから風変わりで大人びた異性が自分と同じ齢の一人の子どもであることを思い知らされるシークエンスがここでは目立ち、それによる二人の関係性の変化や感情的な遣り取りが短くも適切な描写として光る、そういう作りなのだ。

二人の関係ばかりの映画かといえば、
実はそうでもなく── 杜崎の親友である松野とのブロマンスめいた距離関係の機微も優れており、里伽子を軸に三角関係めいた──めいたであり三角関係ではないのが肝だ──関係が展開され、この関係の始点と終点が”絵に書いたような青春”の一言で巻き取られる切なさと清々しさには純文学性を感じ入る。

だから本作は人間関係の映画だ。
現実的な繊細さや幼稚さが要所要所で表面化し、それが擦れ違いや諍いを起こして、と思えばお互いの意思を尊重したり。時代性を切り取った映画であると同時に、どの時代の若者にも共通する普遍的な情動をどこか慈しむようにも描いている。

だから好きだし、良い映画だと思う。

また90年代の多様な被服や清涼感のある高知の街並みも作品の雰囲気作りに大きな影響を及ぼしており、それら全てを抱き込んで、杜崎が自身の高校時代に一つの解を導く夜の高知城を舞台としたシークエンスは本作品のハイライトだ。70分程度の尺の作品で、あのクライマックスにあれだけの感情を込められることはそうそうない。
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