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鉄路の男のSadAhCowのレビュー・感想・評価

鉄路の男(1957年製作の映画)
4.5
2022 年 34 本目

『トップガン』とこれを同じ日に見てレビューするあたりに自分のミーハー加減が透けて見える。31 歳で交通事故で亡くなったポーランドの天才アンジェイ・ムンクの代表作。すっごい雑にまとめると『羅生門』で『塩狩峠』で『藪の中』である。一人の人物・ひとつの場所をめぐって展開し、最後は「審判」がいるという点で、特に黒澤版『羅生門』と似ているかな。

複数の視点から展開される多様な解釈は、「客観的観察」を教条とする社会主義リアリズムに対する真っ向からの挑戦だった。何より、スターリン時代の労働合理化(質の悪い石炭の使用、修理費の節約)を進めるトゥシュカたちをまったく肯定的に描いていない点で、当時の基準的に「大丈夫か?」ってくらいギリギリの攻めた映画。ところが映画が完成したとたんにスターリン批判がはじまり、挑戦しようとした体制の方が勝手に柔軟になってしまって、本作の批判的意義が薄くなってしまった。スターリン批判によって正当な評価が得られなかったという意味ではカヴァレロヴィチの『影』と似ている。しかし『影』は革命を妨害する反動勢力を最後に成敗するという、いかにも体制側にいたカヴァレロヴィチらしい作品であったのに対して、『鉄路の男』はひたすら挑戦的である。

戦前から機関士として働いていた「過去の遺物」が実は誰よりも高貴な魂をもつ仕事人であったのに対して、戦後の社会主義体制になってから出世したトゥシュカ駅長はひたすら近視眼的で独善的。トゥシュカの手先となっていたザポラはオジェホフスキ爺さんの誇り高さにほとんど感化されてるし、最後は罪悪感で押しつぶされそうになっている。保線員のサワタに至っては、もう人格的に難ありすぎ。世代交代の話のように見えるが、実は「新しい世代」は決して肯定的に描かれてはいない。オジェホフスキは今の言葉で言えば老害ということになるだろうが、「何やこのジジイ」と最初に思っていたのが徐々に「ジジイええやつやんけ…」となり、最後は「ジジイ、最高!」となる、まさにジジイ讃歌である(違います)。

最後に説得力のある推理を展開する査問委員長カラシも、「子供がランプを入れ替えた」という事実まではさすがに掴むことができていない。党のお偉いさんに花を持たせたように見えて、実はカラシにすら分かっていないことがあって、「党」は万能ではまったくないのだ…というのを暗に示してもいる。
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