CHEBUNBUN

5月の後のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

5月の後(2012年製作の映画)
3.8
【結局、社会のレールに乗ってしまうのさ】
MUBIにオリヴィエ・アサイヤスの『5月の後』が来ていました。1960年代、学園闘争は世界各地で発生していた。そして70年代になると、結局大人や社会によって潰され、「暴力で世界は変えられない」と悟ったのか若者はそれぞれの道を歩み始め、運動は下火になっていった。そんな70年代前半、運動にのめり込んでしまった者のイタさを描いた青春映画だ。その前に、5時間30分にも及ぶテロリストの活躍を描いた『カルロス』を撮ったアサイヤス監督が少し肩の力を抜いて作った、暴力の内側に入ろうとして外側に押し出される者による青春の蹉跌。これがとても面白かった。

後者の前で新聞を配り、運動を行う場所を告げる。次の場面で、若者が武器を持って、街を暴れまわるのだが、角を曲がった途端、軍が待ち構えている。情報が漏れているようだ。あっさりと反撃され敗北してしまう。

このシークエンスだけで、本作は群としての若者が社会によって個に分解されていく話だと分かる。青春映画の特徴として、学校や学生という一つのベクトルに向かって群が動く共同体の終焉で、個がそれぞれの道を歩み始める際の切なさがある。イタリアの叙事詩映画『輝ける青春』もそんな映画であった。本作は、5月革命に出遅れた者のイタさを描いた話であるが、本質は普遍的切なさを捉えている。

夜の校舎に忍び込んで、スプレーで落書きをしたり、ビラをぶちまける。それがバレて夜な夜な追いかけられる。そのシーンの一体感、躍動感がこの映画のピークであり、その後は運動の外側で仕事をしたりしながら、政治的なことを語りつつも社会システムに取り込まれていくもどかしさが描かれていく。

彼らの反発として、ライブ会場で投影機に色付きのプラスチックを重ねて演出をしたり、通俗なSF映画の現場に潜り込んでモヤモヤした顔をしながら仕事をする。銀行員や役員といった堅い職から逃げるようにエンタメの世界で、自分の傷を癒していく様子がいたたまれないのだ。

『モーターサイクル・ダイアリーズ』や『オン・ザ・ロード』もそうだが、通常この手の意識高い系が出てくる青春映画は、思想の違いからそれぞれの道を歩み始めるものだ。切なくとも希望が見える傾向がある。しかし、本作はひたすら絶望的だ。この絶望感、前に進むしかないと諦める展開はケリー・ライカート『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』を思わずにはいられない。あちらは、肝心なテロシーンは画から排除していたが、『5月の後』はスタイリッシュなカメラ捌きで魅せてくれる。対の関係にある作品と捉えることが出来そうだ。
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