ジミーT

本陣殺人事件のジミーTのレビュー・感想・評価

本陣殺人事件(1975年製作の映画)
5.0
私は岡山や信州を舞台にした横溝正史の金田一耕助シリーズの魅力は「おどろおどろしい」ではなく、田園風景の詩情にこそあると思っています。(注1)
この「本陣殺人事件」は完璧な原作密着ミステリ映画であると同時に、その田園風景の詩情をフィルムに焼き付けた、映像詩とでも言うべき名作であり、金田一耕助映画・二大最高峰のひとつであると言えましょう。

二大最高峰のもうひとつは言うまでもなく市川崑監督の「悪魔の手毬唄」(注2)ですが、あれは原作「悪魔の手毬唄」を自分の世界に取り込んで、市川崑のセンスで映画化した故の大傑作でした。

一方、こちらは高林陽一監督自らが原作「本陣殺人事件」の世界に飛び込んで原作に忠実に映画化しようとしたという感じです。しかし完成した映画はストーリーから事件の真相からトリックに至るまで、まさしく「本陣殺人事件」でありながら監督の個性が滲み出た傑作になっていました。個性というものは出すものではなく、出てくるものだというのは本当ですね。
高林監督自身、この原作に惚れ込んでいたようで、原作に対しては「事件の背景を構成する世界の『人間の業』の深さと、『我執』のみにくさ、そして、その情念の底知れぬ暗さなど、その、どれもが、私の中の暗い血をかきたてるものばかりである。」「『本陣』一柳家に住む人々の生きざまは、私に地獄絵図を思はせ、この家を吹きぬけて行く風は『地獄』の風である。」とまで言っています。一柳家を「地獄」と言うのであれば、田園風景の詩情はそれに対する「救い」でしょう。ヒッピーのなれの果てのようなジーパン耕助もその田園風景にとてもよく似合っていたと思います。(注3)

注1
70年代の横溝正史ブームのとき、金田一耕助シリーズというと「おどろおどろしい」という形容詞がついて回ったのですが、これにはどうも違和感を覚えてなりませんでした。「おどろおどろ」は「獄門島」の中で、金田一耕助が事件の予感を覚えるというか、不吉な胸騒ぎを感じた時に3回使われただけです。(2回だったかな。)

注2
「犬神家の一族」(76年)でも代替可。

注3
好きでした、ジーパン耕助。原作密着にこだわるなら、石坂耕助よりこのジーパン耕助の方が原作のイメージに近かったような気がします。
今でこそ評価が非常に高いそうですが、初公開当時、ジーパン耕助の評判は悪かったのなんの。「中尾彬は密室殺人のナゾをとくより、女をくどいてればいい。」だの、「このキャストだと金田一耕助は常田富士男でなくてはいけない。」だの散々な言われようだったと記憶しています。
「金田一耕助は着物と袴でなくてはならない」みたいな意見もありましたが、そりゃ無茶ですよ。時代設定が映画公開当時と同じ昭和50年くらいなんだから、着物に袴の青年なんてのがいたら仮装行列。今風に言うとコスプレになっちまう。
原作「本陣殺人事件」の金田一耕助初登場の場では「その時分東京へ行くと、こういうタイプの青年は珍しくなかった。」と書いてありますが、それは昭和12年の設定だから。昭和50年で「こういうタイプの青年は珍しくなかった。」というなら、ジーパン耕助がまさにそれですよ。

追伸1
高林陽一作詞(たぶん)、大林宣彦作曲になる主題歌はこの映画世界にバッチリマッチして素晴らしいの一言。
映画では全歌詞の一部しか歌われていませんでしたが、ご参考まで、フルコーラス書いておきます。著作権大丈夫かな。
この歌をまるで唱えるように老婆のような声が歌うのですが、誰が歌っていたのか。本陣殺人事件より謎です。

因果はめぐる水車
散りゆく花は人の世の
仮寝の夢か幻か
川にうつりし捨て小舟
心の鬼を七色の
彩に織りなす水玉が
哀れ闇夜に消え行きて
無常の風ぞ吹きそめる

追伸2
初公開時に観たのですが、2本立てで、もう1本が「東京エマニエル夫人」。何考えてんだ?

参考資料

アートシアター118号
本陣殺人事件
昭和50年
株式会社日本アート・シアター・ギルド

本陣殺人事件
横溝正史・著
春陽文庫
昭和48年
春陽堂
ジミーT

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