『ジオラマボーイ・パノラマガール』の瀬田なつき監督作品ということで、Thanks Theater(ミニシアター支援クラファンサイト特典)で鑑賞。
[あらすじ]
2011年、8月27日土曜日14時50分。
繰り返される14時50分。
別々の視点から見た同じ瞬間、
無限の可能性が次々と開かれていく……。
[感想]
普通に観ていると特に何かが起きるわけでもない、なんてことない短編だけれど、瀬田なつき監督作品と聞くと、その個性が凝縮されていることに気づける、不思議な作品だった。
[街を舞台にしたアート]
そもそもは、劇中に登場する横浜の町・黄金町を巡るインスタレーション的作品として製作された本作。
そのため、初上映時は、町の4か所で各主人公から見た物語、つまり4つの短編を野外上映、最後の物語を映画館で上映したとのこと。
当時のように、街を歩きながら、作品の世界に入っていくという経験は出来なかったものの、作品の中に「街」は確かに存在しているので、まるで、そこに入り込んだかのような感覚に陥ることが出来るのは、本作ならではの魅力だと思った。
[ポスト311映画として]
本作のプロトタイプとされる作品に、オムニバス映画『明日』の一編『Humming』がある。
このオムニバス映画は、東日本大震災によって、予算と会場を失ってしまった仙台短編映画祭が企画し、41人の監督が3分11秒という制限の中で製作した短編を集めたもの。
現在、本編を鑑賞する方法はなく、残念ながら確証を得ることは出来なかったものの、ネットで確認できる公式情報によると『Humming』の内容は、どうやら『5windows』における染谷将太パートと同一だった模様。
そのため、本作をポスト311の物語と捉えると、腑に落ちる部分が多い。
東京での揺れとほぼ被る14時50分という時刻、そこにとどまり続ける少女、彼女が発する意味深な言葉と涙。
一見、曖昧で掴みづらい物語ではあるものの、本作が描く物語の原点には、震災による喪失と再生があったのではないか。
その瞬間に存在したはずの無限の可能性と、たとえ忘れ去れてしまっても、ふと蘇る記憶。
あえて、その題材を普遍的に描いたことで、本作は名作になっていると思った。
[おわりに]
一見すると、雰囲気映画にも捉えられがちだが、その制作経緯を踏まえると、かなり深い作品にも思えた本作。
「交錯する視点」、「街」、「不在の具現化」と監督の他作品にも繋がる要素も凝縮されており、作家性が見事に結実した傑作だと感じた。