ブルームーン男爵

悪い子バビー/アブノーマルのブルームーン男爵のレビュー・感想・評価

4.2
1993年の作品であるが、これは想像を超える圧倒的な怪作。スコア評価無しにするか悩んだが、後々の追憶のためスコアはつけておく。なお、本作を視聴するなら自己責任でお願いしたい。冒頭観ただけでは分からないが、本作は宗教や独善的支配からの離脱と、自由になってからの自己責任の上での自己確立がテーマであり、非常に奥深い作品となっている。

ヴェネチア国際映画祭では、審査員特別賞ほか全3部門を受賞している。日本では劇場公開されておらず、VHSのみで視聴可能だったが、約30年のときを経てようやく劇場公開された作品。Filmarksユーザーの評価が高めだったので観に行ったが、これはかなりの掘り出し物だ。

正直、開始1時間ぐらいは途中退場しようかどうか迷った。主人公バビーの成育環境はあまりに悲惨で、本当に”胸糞”。。しかし、バビーは実のところ純真無垢で、周りをそのまま反映しているに過ぎず、善悪の概念などもなく、「タブラ‐ラサ」(白紙)のような状態。拘束されていた環境から解き放たれ、様々な刺激を受けて、一部汚れている真っ白なキャンバスに独自のタッチで運命を描いていく。バビーが悪に見えるとすれば、それは世界が歪んでいるからなのだ。

開始30分は、こんな悲惨な状態が続くのかと鬱々としてしまったが、そこからの予期せぬ展開と、そこから生じるカタルシスはなかなか病みつきだ。

本作では音楽が非常に重要なエッセンスになっているが、バンドで歌うバビーは傑出しており、聴き入ってしまった。また、本作では、信仰深き人ほど排外的で他責的のようだ。一方で、社会のはみ出し者ほど他社に寛容なように見える。バビーは社会的弱者側に受け入れられ、感動的なラストを迎えるが、柔らかい光に包まれたラストは映画冒頭との綺麗な対比になっており珠玉だ。

それにしても、主人公のシーンで時折流れるヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」があまりにも印象的。これはオペラ「セルセ」の中で、ペルシャ王セルセ(クセルクセス1世)が、愛しい人との愛の追憶をプラタナスの木陰になぞらえて歌われる愛の歌である。木陰は光と影から成るが、暗い地下室と、外の世界を示唆しており、それは一方で、母親の歪んだ愛情と、外の世界で得た本当の愛との対比でもある。そして、木陰をつくりだす大木は、かつては宗教だったかもしれないが、現代では科学かもしれないし、自己で見出した信念かもしれない。

「映画の観客であるあなたはどんな大木に寄り添って、自身の周りにはどんな光と影がありますか?」と問いかけられているように感じられた。ただ世界も人生も、そんなに悲惨でもないし残酷でもないと、本作はバビーを通して教えてくれているように思われた。その点で、バビーは福音である。