ドント

ルトガー・ハウアー/危険な愛のドントのレビュー・感想・評価

4.2
 1973年。純愛映画やん……。冒頭1分でカップルをブチ殺すエリック(ルトガー・ハウアー)。しかし彼はベッドの上で目を醒ます。今のは夢だったのだ。無精髭に下半身は裸、アトリエらしき自室はボロボロ、彼は真っ昼間から女を漁りに出かけて5分で5人と交わって自堕落の極み。一体どうしてこんなことになってしまったのか? ことの起こりは2年前……。
 彫刻家・造形美術の男とカメラ屋の女のラブロマンス、悲恋物語。ただし汚物は出る。ヴァーホーベンがこんな美しいを撮っていたとは知らなかった。繰り返すが汚物は出る。頑健な顔つきながら憂いを湛えたハウアーと、はすっぱなモニクの喜びあり笑いありトラブルあり悲しみありの恋愛模様が、ヌードや性愛を多く絡めて描かれる。
 このヌードや性愛、まるでネチっこくない。男女ともに人生に当然存在する愛の営みといった感じで健康的で、同時に美しく深いものとして取り扱われている。男は芸術家ながらアートに悩んだりもしないし、女は恋人としてモデルとして生き生きとしている。むしろふたりの心身の絡みが、人生と芸術をより豊かにしているようにも見える(周囲の大人が困ることはあるが)。
 冒頭から遡っているがゆえに刹那的、後先なしに今を生きているようにも見える。が、人生たかだか80年、このような生き方こそが正しいようにも思えてくる。それを裏付けるように基本的には明るく楽しい彼らの道行きにも所々に翳りが差し、また要所要所に「出る」「出される」もの=この世に生み出されるものへの恐怖、嫌悪感が顔を出す。各種汚物、死にかけた人が垂れ流す体液、蛆虫、ゴミの山、廃液……。美しいのは今この時と、「作り出される」ものだけだと言うように。
 終盤は畳み掛けるように「生まれた」ものによる悲しい結末が待っている。汚物と性愛の注入された『セカチュー』みたいな話である。しかし下品にも気取りにもならず、バランス感覚と圧縮と速度が絶妙の案配で、小綺麗に加工された純愛作品とは一線を画しつつ、とても美しいシーンの多い、「人が生きている」純愛映画といった感触を持った。であるがゆえに、ルトガー・ハウアーのルトガー・ハウアーにモザイクをかけるのは無粋の極みではないだろうか、とも言っておきたい。
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