ROY

石の詩のROYのレビュー・感想・評価

石の詩(1963年製作の映画)
4.3
■ABOUT
TBSのドキュメンタリー番組から委嘱された作品。雑誌『LIFE』のカメラマンのアーネスト・サトウが香川の石切り場で撮影した数百枚の写真をもとに構成されており、3日間でグラフ・コンテを描きあげ、約10日間で完成させた。評価は賛否両論に分かれたが、クリス・マルケルやジョルジュ・サドゥールなどに高く評価された。(『シアター・イメージフォーラム』「『薔薇の葬列』公開40周年 幻視の美学・松本俊夫映画回顧展(2009)」から抜粋)

瀬戸内海に臨む四国庵治村は、庵治石と呼ばれる御影石の産地。この村で営々と山の石に挑む石工たちの姿を写真構成で描く映画詩。(『神戸映像アーカイブ実行委員会』「松本俊夫特集」から抜粋)

■NOTES
「これ(『石の詩』)もわざわざ素材の情報価値を切り捨てる所から始めてるわけ。素材は石でしょ。石は何も語らない。しかもそれをいったん写 真にしたものを更に映画で撮って再構成した作品。だから二重に映画から遠いわけですね。大体、石っていうとそこに死をイメージしちゃうんだけれども、この四国の石切り場の石工たちは石を切り出して磨いてね、「石がだんだんできあがってきました」なんて言わないで、「だんだん石が生きてきましたね。」って言うわけ。それ聞いて映画を作る時の映画の在り方と同じじゃないかと思ったわけね。映画が映画から最も遠い所、つまり映画の死から始めて、そこに映画が息づいてきだしたらば、映画はそこに「生きてきた」って言えるんじゃないか。そういう意味じゃ、メタフォリックな表現としてね、時代の挫折感や空洞感を石の分厚い沈黙や映画の沈黙と重ね合せて、そこに生命の息吹きを甦らせようとするのがこの作品のテーマだったわけですね。

 この作品はね、フランスのトゥールの映画祭でやった時に賛否両論に分かれて、結構弥次られたんだけれど、その時、あの『世界映画全史』を書いたサドゥールがレットル・フランセーズに批評を書いてくれてね。えーと、『悪魔が夜来る』っていう題のマルセル・カルネの映画、知ってるかな。戦争が終わる頃作られた作品で、そこに出てくる悪魔がナチスに例えられているわけ。その悪魔があらゆるものを石にして世界の支配者になる。主人公も恋人と二人で抱き合ってるところを石にされちゃうんだけども、悪魔がふっと耳を傾けるとね、抱き合ったまま石にされてしまった恋人たちの方から音が聞こえてくる。近づくと心臓の鼓動がしてるわけ。つまり心は石にすることはできなかったという終わり方をしてるんです。その映画のラストシーンを思い出さないだろうかとサドゥールは言うわけね。そして死の象徴としての石の沈黙から、生命が鼓動を打ち出すに至る表現も含めて、『石の詩』をこの映画祭の中で最も新しい作品の一つと評価して自分は支持すると書いてくれたんだよね。映画の中に石工たちの「石が生きてきましたね。」という言葉を入れてますけれど、なんかあんまり説明しないでもわかってくれる人はわかってくれるんだなと思ったわけですよ。でもその時にね、映画全体で表現された世界っていうのは、必ずしも元の写 真の個々の要素にはないんですよ。作品世界は素材をどう切り取ってどう構成していくかという作家の主体的な手続きの中にしか姿を現わさない。その点をはっきりさせないと映画の独自の価値を見出せないということと、指で差し示すことのできない現実の内向しているリアリティに事実信仰を超えて迫る表現としての切り口を、この『石の詩』を通 して何か見いだすことができたかなっていう気がしたわけ。ですから、僕にとってのドキュメンタリーっていうのは非常にそういう意味で屈折した形の出発点があったんです。」(『山形国際ドキュメンタリー映画祭』「日本のドキュメンタリー作家 No. 9 松本俊夫」から抜粋)
ROY

ROY