先に見たのがハリウッドリメイク『オットーという男』でよかった。(以下『男』)
比較レビューで散見されたのは「同じ内容」「オットーがいい人すぎる」「説明的すぎる」などであった。
はっきり言って全てが的外れだ。
そもそもテーマが違う。
もっと言うと『幸せなひとりぼっち』にはテーマが無い。(以下『ぼっち』)
読解力のない、ただ映像化しただけの作品。
原作は読んでいない。それでも分かる。
もし『ぼっち』の方が原作に忠実だとするならば、『男』は原作を超えてしまったということになる。
だが、恐らくそうじゃない。
「説明的すぎる」と書かれていたものだから、きっと多くを語らない奥行きのある作品なのだろうと期待していた。
しかし、蓋を開けてみたら空っぽの瓶だった。
物語の文脈を理解せずに引用されるセリフたち。
これにはイライラした。
瓶の蓋がなかなか開かないときくらいイライラした。
「オットーがいい人すぎる」はおかしな話。
なぜなら、オーヴェはオットーも裸足で逃げ出すほどに「いい人」だから。
「同じ内容」では全くない。
愛を与える。愛を与えてもらう。これが同じであろうはずがない。
『ぼっち』のオーヴェはずっと愛を与える側だ。
それによって周囲の人達が心を開く。それなのに偉そうに説教をしてくる"引用"には瓶をぶん投げたくなる。
原作から適当にコピペしたであろう雑なペーストに瓶をぶん投げたくなる。
『男』のオットーは愛を与える側でもあるし、貰う側でもある。
つまり、『ぼっち』のオーヴェは文字通り最後まで「ぼっち」である。
オーヴェのことを分かってくれる人はいない。
周りはその優しさに、ただただ甘えているだけ。
「ふぇー、こんな優しい人いるんだぁ~」というだけの空っぽな映画だ。
テーマを分かっていないこの映画は「愛」を視聴者にも与えてくれない。
嫌な人はしっかりと嫌な人として描く。「それがリアルだ」なんて声がきこえてきそうだが、それになんの意味があろうか?
無駄にグロい描写なども不愉快である。
不幸を描き過ぎである。バランスが悪い。
この作品に必要なのは「リアル」じゃない。必要なのは「愛を与える」ということ。
きっとそれが原作のテーマでもある。※繰り返しになりますがこの人、原作を読んでいません
オーヴェは幸せを「一人」で掴み取った。
父の教えを一貫して守り通した。
自分に正直だった。
「全て自分でなんとかしろ」という「テーマ」があると言われれば確かにそうだ。
いってみれば説教だ。
「現実は厳しい」「それでも人に優しくしよう」「そうすればきっと幸せになれるよ」
しゃらくせえええええええええ!!!!!!!
しってるううううう!!
そんなのしってるしーーーー!!!!
ただただ現実の厳しさを見せられただけ。
オーヴェにはお疲れ様でしたという感想しかでてこない。
絶対にこの映画は原作の内容を履き違えてる。※原作を読みたくなくなったまである
履き違えててくれ。
片方キティちゃんの靴下であれ。
『苛ついたセリフランキング』
けっかはっぴょう~~~!!!!
第3位!!
「ソーニャ先生なら、たすけるよ」
違う違う、そうじゃ、そうじゃない(ソーニャから何を教わった。優しさに甘えるな。与える側であれ。言葉を選べ)
第2位!!!
「私を励ましてくれた人が、ただ座って自分を憐れむわけ?以下略」
サフランご飯ごときでマウントとらないでください!!(隣人の描写が雑すぎる。過去の描写をバッサリとカットし、隣人に焦点を当てた『男』は"分かっている")
第1位!!!!
「本当に死ぬのがヘタクソね爆笑」
なにわろてんねん(むしろ納得するところだ。彼は優しかった。彼女の存在はまさにキティちゃんの靴下だ)
上記のセリフ達は、周りが見えなくなってしまっていたオットーになら成立するセリフだが、周りが見えていたオーヴェには成立しないセリフである。
おまえがいうな。
略しておまいうである。
実話モノや原作の映像化は「魂」が入っていないものが多い。
けれど『男』には瓶では溢れてしまうほどの「魂」や「愛」が詰まっていた。
嫌味すぎない悪役、コメディーとシリアスのバランス、愉快な登場人物たち、音楽。
全ては視聴者に「愛」を与えるため。
作り物のように感じるのは「魂」の裏返し。
大切なのは「リアル」かどうかじゃない。
「想い」があるかどうかだ。
リアルでなかろうが、なんだろうが、つくり手の「魂」が籠もった作品は刺さる。
逆に、どんなに精密で緻密に作られた作品でも「魂」が籠もってなければ刺さらない。
『男』は原作の「想い」をしっかりと理解して作られているから、「魂」によって空っぽな瓶たちに「愛」が注がれる。
『男』から与えられた「愛」という名の瓶の中身は、『ぼっち』によって少なからずこぼれ落ちてしまった。
そうさ。こんな批判レビューを書いてしまうのは私の瓶の中身が空っぽだからだよ。
『男』を「二番煎じだ」と感じる人は、きっと「愛」にも「魂」にも気づけないほど、瓶の中身が満たされてるんだろう。
そうさ。瓶を逆さにしてまで皮肉ってるのさ。
まさか、『男』と同じ原作元の作品で苛つかせられるなんて思ってもなくて、びっくり、うっかりだよ。
でもさ、だめだよ。皮肉ばかり書いてちゃ。
この映画が教えてくれたじゃない。
自分を殺してまで人に優しくしろってさ。
『ぼっち』を先に見ていたらきっと感動する場面はあった。
だが『男』の後ではただの「映像化」でしかなかった。
原作がいいんだよ。原作がいい。
嗚呼、なんだか『不幸なひとりぼっち』な気分だ。
ふと走馬灯のようにお節介な先生や死んだ犬を思い出した。
オレはしぬのか?
『オットーという男』は原作への愛を感じたよ。
原作の良さがしっかりと伝わったよ。※もう敢えて原作は読まない
優しい人間はゴミの掃き溜めだ。
ハリウッドリメイクの制作を決断したトム・ハンクスもきっとそうだ。
だから作り直してくれたんだろ?
綺麗に分別してくれたんだろ?
キティちゃんの靴下をもう一足買い足してくれたんだろ?
オレには分かるよトム。
トム・サンクス。
本当に優しい人は愚痴すら零さない。瓶が一杯になる前に、気付いてあげてね。