人間に成りたかったロボットの喜びと哀しみの200年の人生。アイザック・アシモフ原作。ロボット役のロビン・ウィリアムズは半分近く、特殊メイクでロボットの顔をしている。SFとして良心的な作品で、穏やかなロビン・ウィリアムズが適役。ロボット三原則どおり、人間を傷つけない。
賢いロボットなら、愚かな人間に成りたい等と思わないはずだが、アンドリューはちょっとばかり不良品だった。また、人間と同じように最初の人間(親、家族)との関係が良好だったから、そのような人間に成りたいと望んだのだろう。
アンドリューは自分から望んで少しずつ人間に改造されていくのだけれど、
もともと欠陥品だったアンドリューは、「音楽」を愛し、「芸術」を理解し、「想像力」があり、ものを「創造」し、人を「喜ばせる」ことに長けていた。それらは人間ならではの感性とも捉えられる。
おもしろいと思ったのは、人間とは、「不条理で」「感情が理性より勝り」「ウソをつき」「欠点があり」「形状はいびつで」「失敗を予想してもリスクを冒し」「自立し」「自由を求める」と劇中で表されていた。そして「いつか死ぬ」「死ぬのはいつかはわからない」。
流れる時間の概念はロボットにはない。永遠と刹那に生きているのか。
アトムやドラえもんを生み出した日本のロボット観とずいぶん違う。また、どんなに優遇され愛され家族の一員と言われてもアンドリューはかつての奴隷支配にみえた。仕事を取られる脅威、反抗される恐怖が背景にある。自由を求め、人権を求め、一人の人間として認められたいと切望する差別の歴史を描いているようにもみえた。
アトムを観たくなった。人造人間のフランケンもピノキオも人間には逆らってはいけない。