青山祐介

枯葉 〜夜の門〜の青山祐介のレビュー・感想・評価

枯葉 〜夜の門〜(1946年製作の映画)
3.5
『ああ!思い出しておくれ/ぼくたちが恋人だったしあわせな日々を、/あの頃 人生は今日よりもっと美しく/太陽はもっと輝いていた、/枯葉はシャベルで集められる(つもる うずたかく)―ほらね ぼくは忘れていたよ ― 思い出も未来もおなじこと/そして北風はそれらを運び去る/忘却の冷たい夜のなかへと …けれども人生は愛し合う仲を引き裂く/やさしくそっと/音も立てずに/そして海は消し去る/別れた恋人たちの足跡を…』
ジャック・プレヴェール<枯葉Les Feuilles mortes>、1949年の「ことばたち(Paroles)」高畑勲訳 ぴあ2004年より

マルセル・カルネ「枯葉~夜の門(Les Portes de la Nuit)」1946年 フランス映画
脚本ジャック・プレヴェール 音楽ジョセフ・コスマ
1944年パリは解放されました。ドゴールの臨時政府が誕生し、「戦争が終われば夢と希望の世界」が戻るはずでしたが、貧困に喘ぐパリの市民、ナチスの協力者たちやユダヤ人の大量検挙に手を染めたパリの警察にたいするレジスタンスの闘士たちの戦いは終わっていませんでした。戦争と栄光のかげに苦悩する人々、戦争はそれだけではありません。戦争はパリの<こころ>を破壊したのです。物語は1945年、悲しい冬、深刻な問題、恐ろしい秘密、そんなパリに燃え上がった男と女の短くも激しい恋を、プレヴェールとカルネの「詩的リアリズム」は、暗いパリの夜を背景に描き出します。<枯葉>のメロディーは、1945年、プレヴェールの台本、ジョセフ・コスマの作曲、ローラン・プチの振り付けによる、バレエ「ランデ・ヴー(出会い)」のルフランであり、見せ場でもあるパ・ド・ドゥに使われた旋律です。もうひとつのメインテーマとなった曲が「愛し合う子どもたち(enfant)」で、歌詞を映画のためにあてはめたメロディーは「夜の門」の主題歌として有名になります。<恋と夜>はプレヴェールの独壇場でした。
しかし、映画は不評でした。あきらかに主役の若い二人には不幸な映画でした。演技にも見るべきものはありません。当初、予定されていたマルレーネ・ディートリヒは対独協力をテーマとした映画(プレヴェールはカルネの意に反しランデ・ヴーのもつ幻想的な主題を対独協力者とレジスタンスの男の対決に変えてしまいました)には出演しない、と断ってきます。彼女の恋人であったジャン・ギャバンもそれにならいます。二枚看板を失い、イヴ・モンタンとナタリー・ナッティエを起用します。モンタンはエディット・ピアフが推挙した新人の歌手でしたが、<枯葉>を歌うことができませんでした。「愛し合う子どもたち」は街頭の楽譜売りに扮したファビアン・ロリスが歌い、モンタンは、浮浪者の姿をした<運命>の化身ジャン・ヴィラールがハーモニカで吹くメロディーにあわせハミングをするだけです。ナタリー・ナッティエの歌声はイレーヌ・ジョアシャンの吹き替えです。
その後<枯葉>は、1948年にコラ・ヴォケールが舞台で歌い、ジュリエット・グレコ、イヴ・モンタンに歌い継がれていきます。
「夜の門はメロドラマと、まがいものの詩が交じり合った、わけのわからないもの」「プレヴェール=カルネがもたらした豊かな実りの終焉」「かの1925年の(シュルレアリスム)の古いパリが臭う安物の詩」おおかたの批評はこのようなものでした。
「夜の門」は、プレヴェールとカルネのコンビよる最後の作品になりました。古いパリは終わりました、「愛し合う子どもたち」のように。ただ、プレヴェールの<ことばたち>と<愛>、そして<歌>がのこりました。
『愛し合う子どもたち/立ったまま抱き合う/夜の門々を背に/そして通りかかる通行人たちが指をさす/でも愛し合う子どもたちは/そこにいないつもり/誰に対しても/いるのはただ影だけ/夜のなかでふるえ/通行人の怒りをよびおこす…』
ジャック・プレヴェール<愛し合う子どもたち>高畑勲訳 上掲書
青山祐介

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