このレビューはネタバレを含みます
物語は事象の羅列であり、点と点を繋げて線にするのは読者次第でありその作業を行う事で初めてその物語が読書自身のものになる。
という様な事を何処かで読んだのを思い出した。
しかし、この作業を行う事で人間は自分達に都合の良い様に物事を解釈し、それは複雑な要素が交わって構成されている現実とは違ったものになっている可能性がある事も思い出させられた。でもそれが辞められないのである。私の業だろうが同時の多くの視聴者もそうだろう。人間はほとんど無意識にこれをしてしまう生き物なのだ。
ハネケの映画の中の家族は何も語らないけれど自分なりに気になった点と点を考えてみる。無意味だとしても。
事故死を見て涙する 妻
水槽が破壊されて魚の死に泣く 子供
2人の死を見て嘔吐する 父
無意識下での生への執着なのだろうか?
機械的なリズムと数字の中にある生活。
物を破壊しお金を捨てましたが、それは最後の死んだ日と日時にまで及んでいた。
ゲオルグにとって生と数字とはなんなのだろう。
序盤:頭がモニターだったら考えてる事映し出せるのにね
終盤:歌を歌手達と思い出される記憶と家族の顔、ホワイトノイズ。