デニロ

博徒解散式のデニロのレビュー・感想・評価

博徒解散式(1968年製作の映画)
2.5
1968年製作公開。脚本神波史男、長田紀生。監督深作欣二。

人物の背景が一部不明で分かりづらいところがあります。

昭和41年。8年の刑期を終え鶴田浩二が出所してきます。昭和33年からの8年は大きな変化です。オリンピックを招致したり、高速道路建設に着手したり、国民所得倍増計画が策定されたり、ロッテがチョコレート製造事業に参入したり、サントリーがビール事業に参入したり、海外渡航が自由化されたり、天皇家に民間出身の嫁が来たり、いろいろと騒がしい。

暴力団壊滅作戦/頂上作戦が展開したのもこの頃だ。

狙われた暴力団は追い詰められて傘下の実業を切り離し絶縁することを強いられる。鶴田浩二が岩崎組に戻ったのはそんな時だった。組長の河津清三郎に、お前が堅気になりたいという気持ちでいるのはよく分かる、だが、ここは堪えて岩崎組直系の港湾荷役/岩崎海運をお前に任せたい、そう頼まれる。病身の組長の頼みとあっては、義理しか選択肢のないやくざ社会、火中の栗を拾わざるを得ないのです。

偽装絶縁した岩崎組幹部/渡辺文雄は、ここを好機と捉え他の幹部と共に、この先どうやって生き残っていけばいいのかを熟慮する。古いやくざ体質ではもはや成り立たないし、何しろ世間からは暴力団という凄いレッテルを貼られて蛇蝎の如く嫌われているのだから。ここは偽装とはいえ堅気になったことでもあるし、本当の堅気になってしまった方がいいんじゃないか。岩崎組への上納金も時勢に沿った形で減らしてもらおう。そして徐々に力を蓄えるのだ。堅気っていったって人が人の上を歩く世の中だ、そんなに変わりはあるまい。「暴力犯罪防止対策要綱」を策定した政界だって真っ黒黒の黒い霧じゃありませんか。

まずは組長に岩崎組を本当に解散してもらわなくてはなりません。が、昔気質のおやじはなかなか首を縦には振りません。思案のしどころ。丁度そんな時に鶴田浩二が出所して、岩崎海運の社長になります。これだ。この浦島太郎を突いてやればやくざの血の気が舞い上がるに違いない。

よく分からないのだが、薬漬けでよれよれの丹波哲郎が出てきて、岩崎組三羽烏が揃ったな云々とふざけた説明を致します。かつて岩崎組でこの三人がどんなポジションだったのか、その後も何にも出てきません。

渡辺文雄の策略に気付きながらも鶴田浩二は突撃してしまいます。この辺りに8年のブランクを感じます。その猪突猛進で会社を遂に潰してしまい、これも時勢だとおやじは言うけれど、義理は果たせません。最後の願いだとおやじに賭場を開きたいと申し出ます。このご時世に賭場なんて、というおやじに、渡辺文雄たちを呼んで身内だけでやりたいのです、けじめをつけるんだな、と許しを得る。意味が分かんないけれど、タイトルに博徒って付けてるからじゃないのかと。

でも、その賭場には誰も来ません。来るわけないでしょ。堅気になって絶縁したんだから。しかも、賭場に警察が踏み込んで鶴田浩二は逮捕されてしまう。病身の組長/河津清三郎に岩崎組解散を迫る渡辺文雄たち。幹部たちの裏切に悶絶死する河津清三郎。嫌疑不十分で釈放された鶴田浩二が組長の葬儀に顔を出します。組をめちゃくちゃにしたお前がどの面下げてここに来れるんだ、と幹部たちに罵倒される。ぐっとこめかみに力が入り堪えます。お前たちはやくざ以下だ。

渡辺文雄に飼い慣らされてしまった丹波哲郎が刺客として鶴田浩二のもとに現れる。久しぶりじゃないかと、懐かし気に呼びかける鶴田浩二ですが、観ているこちらはふたりの過去を全く知らないのでその情感は伝わりません。あっさりと丹波哲郎は死に、死にに来たのか、という鶴田浩二の呟きも白々としております。

ラストは、渡辺文雄の事務所にひとり乗り込む鶴田浩二。解散式ってこの事?

さて、鶴田浩二には愛人/万里昌代がいて、鶴田浩二の色の付いていない背中の刺青に爪を立てるシーンがいくつかあるのです。出会いはGIに嬲りモノにされそうなところを鶴田浩二に救われて、鶴田浩二と関係を持ち、鶴田の収監後は女ひとり男から金を吸い尽くし小さなスナックを持つ。ふたりでどこかに行って暮らそうと鶴田を誘いますが、彼は義理に従う選択肢しか持ちえません。そして女は店を売り、ひとりバイカル号に乗り込み日本の土に紙テープを投げるのです。

そう言えば高倉健の背中で吠えてる唐獅子牡丹に女の爪が立っているシーンを観たことないな、と思ってしまった、本作はそんな一作でした。

ラピュタ阿佐ヶ谷 OIZUMI 東映現代劇の潮流2024 にて
デニロ

デニロ