Oto

エドワード・ヤンの恋愛時代のOtoのレビュー・感想・評価

3.9
「早すぎた傑作」と言われる恋愛群像劇。複数のタスクに引き裂かれて、一人の人間と向き合うことが許されない、寂しい都会の物語。

観客もその「寂しさ」を追体験させられる形になっていて、登場人物の名前すらも把握していない状態なのに、入れ替わり立ち替わり違う人物が次々と現れて、伝言ゲームや誤解を繰り返していく。

人物同士の対立が多く、騒がしいオンビートな映画なのに、重要なセリフが少なくて、何度も長いなと感じた。扉でセリフが先出される特殊な構造にも起因している気がするけど、大勢の飲み会の寂しさと似ていた。

連想したのは『偶然と想像』。今泉作品よりもビターでやかましい恋愛偶像劇(スクリューボールコメディ)。冷静に考えると、複数の夫婦たちが入り乱れて慰め合っている地獄だったりもする。

でも全体的にこんなにコミカルな映画だと思っていなかったので驚いた。面倒臭さと愛おしさは紙一重で、タクシーへの衝突も、収録現場での鬼ごっこも、微笑ましく思えてしまった。

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テーマの一つは「情」。中国人の友達を観察していると「情」の国だと感じることが多いけど、自分が面白かったのは「情は金になる」という序盤のセリフ。この古い映画が現代人に刺さる理由もそこにある感じがする。カップルTikTokerもSilentもリアリティショーも。

あとは「フリ」。幸せなフリを演出するのか、それとも不幸と露骨に向き合って怯えさせるのか。正直チチのように愛想のいい人って、自分からしたら羨ましいんだけど、誰もから好かれるような人ほど孤独だったりして、求められる人物像を演じていることが多かったり。

アートも恋愛も仕事も、人間の関係性によって成り立っている以上、すべては「フリ」であって、「コミュニケーションなんて演技力」なんだけど、だからこそ目に見える全てのものには知らない一面があって、そこには少し救いがある。

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自分が一番重なったのはアキン。お人好しで周りに振り回されて生きている人。ラリーのずる賢さや詰めの甘さも他人事に思えないけど、どちらにしてもああいう情けない人たちを描かれるとハッとする。

同僚のリーレンとか芸術家のバーディみたいに奔放に生きられたらと思うけど、一方でああいう軽薄さに対する拒否感も少しあって、特にモーリーの自分勝手さは普通に苛立ちを覚えるシーンがいくつもあった。そう考えるとチチの優等生コンプレックスに共感していたのかもしれない。

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小説家を中心に、「自分の考えを自明のものとして他人に押し付ける傲慢さ」(濱口さんの言葉)が描かれるけど、これは最近すごく考えることで、『バービー』のゴッドファーザー解説男もそうだけど、自己満足のために優しくしていないか?という怖さは常にある。

自分で自分を満たせるような時間を増やすしたいとか思うけど、そんな人物は誰一人として今作にいなかったし、終着点が「色を好むという人生の喜び」という時点でそんな幻想は打ち砕かれている。

だけど、情やフリ、誤解や失敗、言葉には出ない本音、誰かに流されて行き着いた場所、を楽しんでいくという道もあるのかもしれないね、と思える作品だった。

光が反射するプールサイドでの喫煙、逆光のオフィスでの再会、もう一度扉を開けてしまうエレベーター、どこにいたって美しい物語は潜んでいるのかもしれない。
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