デニロ

ゴッドファーザーPART IIのデニロのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザーPART II(1974年製作の映画)
4.5
1974年製作。原作マリオ・プーゾ。脚色フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ。監督フランシス・フォード・コッポラ。観るのは3回目かと思っていたら4回目だった。前作と異なり、本作ではコッポラが製作を兼ねていて、上映時間なんかも気にせずに思い通りに仕上げた芸術的なあまりにも芸術的な作品。

アル・パシーノのまねなんかして
ちょっと ニヒルに 笑うけど
あなたらしさ 感じられなくて
この恋 醒めちゃいそう
    (アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた/歌詞:森雪之丞)

榊󠄀原郁恵がそう歌ったのは1977年の秋だった。新進のアル・パチーノは分かるとしても、当時のアラン・ドロンにまだ神通力があったんだろうか。その頃だったら、アル・パシーノ+アラン・ドロン<デ・ニーロだと思うんだけど、女子には人気なかったんだろうか。若きドン・ヴィトーやトラヴィスでは、所謂、可愛くないのかもしれない。

リー・ストラスバーグ演じる20年前から余命半年のユダヤ系マフィア/ハイマン・ロスのこころ根が全く分からない。マイケル/アル・パチーノに息子同然、後継者だのと言いながら、キューバでの大きな事業を持ちかけ、そしてマイケル暗殺を企む。頂くもの(金)だけ頂いて殺す。マイケルにしてもロスのことを尊敬する先輩の如く敬うけれど、その実全く信用していない。命を狙われれば、さもありなんと思うのですが、それでも度胸があるというのか、マイケルはロスの自宅に行き、差しで話し合いに臨む。この辺りの腹の探り合いがなかなに分かり辛いところなんですけれど。

その少し前、マイケルは自宅の寝室で自動小銃の襲撃を受ける。犯人は誰なのか。その日、ファミリー古参のフランキーがマイケルの下にやって来て、縄張り荒らしのロサト兄弟を始末したいと許しを得に来るのだけど、ロサト兄弟はロスと繋がっていて、マイケルとしてはロスとの新事業のためには無用の風鈴を鳴らしたくないので、フランキーに我慢しろと宥める。その夜、銃撃を受けたのです。

そしてハイマン・ロスとの差しの会談に臨んでいる。大変だったろう、バカな奴もいるものだ、今時拳銃でことを解決しようだなんて、無事でよかったなどとロスは言う。マイケルは、ロスにフランキーとロサト兄弟のことを話し、銃撃犯人はフランキーだ、わたしたちの事業のためにけじめをつける、と了解を求める。ロスは、奴は小物だ、と応じる。はあ、深淵な探り合いで、ここでマイケルは、ロスが自分を消そうとしていることに当たりを付けている。ロサト兄弟を始末するに何でマイケルの許可が得られないといってフランキーがマイケルを襲撃するのか、わたしにも意味のない行動にしか思えないのに、ロスはマイケルの言い草に疑念を呈さずにそのままに受け取っている。健康が一番大切だ。成功より、金より、力よりもな、なんて煙に巻いて。どこの世界にも老いて益々自分の影響力を誇示したいという輩がいるのもので、最近の日本政界のありさまを参考にすればロスのこころ根も分かるということなのだろうか。

その後、フランキーにロサト兄弟と手打ちしろ、とマイケルが命じた後の出来事でロスの深い企みが炸裂するんだけれど。

そんなこんなで自分の人心掌握がへっぽこだと感じたマイケルは、人に慕われていた父のゴッドファーザー時代を思うのです。

父の時代からの相談役で兄弟同然に育ったトム/ロバート・デュヴァルにまでつらく当たる。俺のやることに付き合うのか、そうじゃないなら女房、子ども、愛人を連れてラス・ベガスに行けばいい。ここではマイケルの猜疑心などわたしにはどーでもいいのだけど、驚いたのはトムに愛人がいるということでした。

さて、マイケルの眼差しの先にいる人々が彼の命に従って事態を次々に変化させていく作劇にすっかり飲み込まれてしまうのですが、わたしは、本作ではサイド・ストーリーのドン・ヴィト/ロバート・デ・ニーロが好きなのです。何でクレメンザと一緒に泥棒家業になったのかは全然わかりませんけれど。

TOHOシネマズ新宿 「ギャングスター映画祭」 にて
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