カラン

サンライズのカランのレビュー・感想・評価

サンライズ(1927年製作の映画)
4.5
貧しい田舎の男が、巨大な湖を渡ってやってきた都会の女の誘惑を受けて、妻である田舎の女を裏切り、水上で殺害しようとする、、、、、、コメディ。

☆トラジコメディ?

悲喜劇(tragicomedy)というのがある。トラジディとコメディが合わさったものだ。文学史上、シェークスピアは悲劇と喜劇の両方を確立したとされており、シェークスピアの演劇には人間の酸いも甘いも《全て》が表されているのだと言う。そんなシェークスピアの戯曲のようなレベルのトラジコメディが、他に作品単体として存在するのかは知らない。

少なくとも、本作はそういうものではない。本作は喜劇的な結論ありきで、急ぎすぎである。何としてでも喜劇に仕立てるという強い決意によって、逆に本作は都会の女という悪魔の誘惑を作品に導入することに成功するが、受難の解決は本作では喜劇的な解決となる。この拙速さは過小評価できない。そういう意味ではチャプリンの『街の灯』(1931)の方が作品の完成度は上である。

☆セット撮影?

冒頭は描画からロングショットに切り替わり、ガラス張りの駅の構内から外の風景が透けて見えている。この黒々とした汽車はミニチュアであるらしい。信じられない表現力である。都会の遊園地とダンスホールとレストランが一体化したあの施設や教会、森の中の鉄道、等々。どこまでがいわゆるセットであって、セットロケでないのかは分からないくらいに、圧倒的な表現力である。こうしたセットを使った表現力はフリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927)と同種のファンタジーが溢れるものであるが、表現すべき対象の違いからであろう、完成度は本作が上である。

☆セットからセットへの移動

田舎と都会の対比を基軸にする。基本的にセットなので、空間性と移動感を出して、田舎と都会の対比を際立たせようとする。田舎と都会の間には大きな湖がある。都会の女を乗せた船はこの湖を渡ってきたし、田舎の女を殺害すべく沖合に出るが断念すると、女が逃げ出し、後を追って列車に乗ると、都会にやって来る。都会で男が再生すると、帰りの舟では大嵐に遭い、事件が起こるのであった。このように『サンライズ』はセット撮影であるが、屋外での撮影を多用し、移動することで、結果的にユートピア(何処にもない場所)を生み出すのである。

☆ディゾルブ

都会の女による悪魔の誘惑で、男に幻影が取り憑く。ここはディゾルブが使われる。また、都会に行って、複数の天使が出現する。この天使は結婚式が行われている教会で、涙の改悛をした後のことなので、かなりステレオタイプな表現となるが、これもディゾルブである。こうしたことこそ、シェークスピアのレベルに至ることを阻害する《拙速》な表現であるように思うのだ。本来、ディゾルブは別々ののショットを1つに重ね合わせる技法なのだから、ファンタジックなはずだが、安易に不可視を可視化するのであれば、逆に忍耐強く不可視を可視化しようとする芸術的な誠実さの不足となる。

こうした《拙速》なディゾルブは、ヴィクトル・シェストレムの『霊魂の不滅』(1920)や、溝口健二の『西鶴一代女』(1952)でも確認できるのではないだろうか。『西鶴一代女』では、冒頭、夜半に徘徊しふらふらとお堂に入ったシーンで、ずらりと並ぶ羅漢の面に過去の男たちの顔がディゾルブで浮かぶ。ここは既に圧倒的な生々しさで夜鷹のゴーストたちを精妙に時間をかけて描いた後なので、確かに傷は大きくないのだが、余計なことではないだろうか。羅漢に夜の女が何を見てとったのか、幻想が生起する穴を埋めてはならない。その穴は鑑賞者の欲望が生まれてくる空虚なのだから。



改めて観返してみて、幅広い映画に影響を与えたことがよく分かる。自分としてはペドロ・コスタにどれくらい逢えるのかな?と思っていたが、方々に書かれているほどではないなと。大雨、小舟、喪失、そして木の股に潜んで1人帰還した男を見ている女はツァイ・ミンリャンの『郊遊』(2013)だろう。

今回、Movietoneのリマスター版のBlu-rayを見直した。近年、プラハで発見されたより美麗なフィルムの方はまだ観ていなかったが、また改めて観るとしよう。これらは字幕が英語かチェコ語かという違い以上に大きな違いがあるようだ。①アスペクト比が異なる。しかもどちらのアスペクト比がムルナウが企図したものなのか不明なのだという。②冒頭の駅構内のロングショットに先立って描画が入っていたが、他方にはないのだという。含まれるショットが違うのである。③2台のカメラを使って撮影したが、実は撮影時間が異なるのだという!等々。これはかなり面白いことなので、じっくりMovietoneを見返してから、別途、チェコ語版を見直すべきかと思ったのであった。

なお、本作はサイレント映画である。サイレント映画はセリフの声や環境の音や劇伴がないものだと思っている人が多いだろう。チェコ語版にはサウンドトラックがないが、Movietoneの方は1927の公開時からサウンドトラックが付いていた。そもそもサイレント映画で、オケやオルガン伴奏も含めるならば、完全に無音で上映されていたものの方が珍しいようだ。
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