こちらは後編。
若い主人公らの絶体絶命を救うのがほろ酔い加減の大田蜀山人(大田南畝)。『亡霊怪猫屋敷』にも一貫しておりましたけど、中川信夫という人は反骨の人だったのではないか。大田南畝の人物造形は、一木左門太のそれと並んで反骨精神の面目躍如するところ、じつに痛快この上ない(それだけ都合も良い)。かたや権力者はみな腐りきっている(田沼意次を極悪人に祀り上げる映画の嚆矢ではないか)。
敢えて難を言えば、中川信夫の取り組みや殺陣といった立ち回りシーンはそもそも撮る気がないのか下手なのか、見るものがない。これは前二作の怪談ものにも通じる。
のちに雷電となる太郎吉も、何度となく男たちに手籠めにされかかる恋人のおきんも、いわば資本が肉体しかない。蜀山人のような粋人の助けがあろうとも、運命のあやは二人を引き裂かずにはおかない。もう見ていて辛すぎる(リア充なんざ、出世前の身には碌なことないよ)。
大人たちの思惑が勝つか、純情が勝つか。こっちの相撲はさしもの雷電であっても一筋縄ではいきませぬ。さてさて結末はいかに。
演出の妙が随所に光る、日本映画の傑作です。