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ほしのこえのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ほしのこえ(2002年製作の映画)
4.3
 2039年、近未来の地球。人類は火星のタルシス台地で異文明の遺跡「タルシス遺跡」を発見したが、NASAの調査隊は突然現れたタルシアンによって全滅してしまう。人類は様々な能力に秀でた国連宇宙軍の選抜メンバーを世界各地から集め、タルシアンの脅威に対抗しようとしていた。2046年のさいたま市、中学3年生になった長峰美加子(声=篠原美香)は今日も剣道部で同級生の寺尾昇(声=新海誠)と放課後の帰り道を歩く。線路を走る列車の音、夕焼けの差し込むマンションの踊り場、蜩の声。ノボルは美加子に期末テストの結果を聞くと、2人とも上出来だった。木漏れ日の射す坂道、帰りのバスを待つ中、ノボルは美加子に高校に行っても剣道をやろうと持ちかける。美加子は「私と同じ部活がやりたいだけじゃん」とノボルをからかう。なんてことない2人の日常。だが突然、美加子は国連宇宙軍のロボット「トレーサー」オペレーターの選抜メンバーに指名される。翌年にはタルシアンの追跡調査のため4隻の最新鋭戦艦と1000人以上で編成されるリシテア艦隊の一員として、艦隊旗艦「リシテア」に乗艦し、生還の保障のない遠征調査に旅立った。ほのかな恋心を抱く友人ノボルを残し、美加子は何億光年の彼方へと旅立つ。

監督・脚本・演出・作画・美術・編集を、新海がMAC1台でほぼ1人で行なった25分のフル・アニメーション作品。『彼女と彼女の猫 Their standing points』同様に、登場人物はボク=寺尾昇とキミ=長峰美加子の2人であり、2人の会話の場面すら導入部分のみに限られている。それ以外は専ら、会話ではなくモノローグが物語のほとんどを占め、人物よりも風景や背景の緻密な書き込みが新海の世界観を形成する。まるでボクとキミ以外の人物たちが地球上から消えてしまったように、物語にはノボルと美加子の2人しか出てこない。「世界っていう言葉がある それはケータイの届く場所であると私は信じていた」という冒頭のモノローグの第一声に体現されるように、ここでは「世界」という言葉が物語の重要な領域を定義する。ボクとキミのごくありふれた日常、もくもくと流れる入道雲、線路に光る赤い点滅ランプ、横を走る列車の音など幾つかの青春時代の刻印が、懐かしいあの頃を振り返り、胸を締め付ける。だがその何気ない日常の光景を異化するような暴力的な風景。線路を走る列車は貨物列車であり、ボディに描かれた「1:87 国際宇宙連合軍貨物」の文字が目に飛び込む。上空には飛行機ではなく、宇宙探査船が飛び、ボクたちのありふれた日常を静かに脅かす予兆となる。

かくして永遠に一緒のはずだった両想いの2人は、数万光年離れた宇宙と地球とで、互いの気持ちを確かめ合う。スマフォ全盛の現代から振り返れば、いささか前時代的に映るガラパゴス携帯でのメールのやりとり。遠距離恋愛を超えた超遠距離恋愛は、同時に時間を超える意思疎通の旅にもなり得る。太陽系は人間だけのものではないという登場人物たちのモノローグに体現されるように、ここでは宇宙の神秘を内包しながら、ボクとキミは20世紀のエアメイルのようにコミュニケーションを取り合う。何度もメール・センターに問い合わせるノボルの行動は、今ほど通信インフラが整っていなかった2000年代初頭のごくありふれた日常をシンボリックに切り取る。メールの飢餓感が美加子の面影となる21世紀的なケータイ恋愛を主軸にしながらも、美加子は地球の存亡をかけてタルシアンと攻防戦を始める。ロボット・アニメとしては明らかに『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』のフォロワーの域を出ていないが、部屋のドアを開けた瞬間、主人公たちが世界の危機に直面する様は後に「セカイ系」と定義付けられ、ゼロ年代のアニメに留まらず。物語世界を持った様々な文学作品、映画作品に流入し、独自の発展を続けている。この「セカイ系」の図式においてほぼ全ての責任はヒロインの肩に背負わされ、男性は常に彼女の無事を祈ることしか出来ない。

前作『彼女と彼女の猫 Their standing points』において、猫と人間の時間軸の違いが感じ方の決定的な違いに繋がったように、今作でも互いのメールが届くまで、宇宙と地球との距離が8年7ヶ月の差があることが明らかにされる。ここでは同級生だったはずの2人が8年7ヶ月もの時差の間を生きることを意味する。超遠距離恋愛、8年7ヶ月もの歳月を超越せんとするボクとキミのシンクロニシティにつながる丁寧な筆致。新海誠の「日常」と「非日常」を溶け込ませるクライマックスへの情熱的な描写が素晴らしい。夏の雲、冷たい雨、学校の黒板消しの匂い、秋の風の匂い、傘に当たる雨の音、春の土の柔らかさ、夜中のコンビニの安心感、放課後のひんやりとした空気、夜中のトラックの遠い音、夕立のアスファルトの匂い。そういう幾つものノスタルジックな描写の積み重ねが、ボクとキミに「郷愁の念」を抱かせ、物理的な距離を心理的葛藤が克服する。今作は『彼女と彼女の猫 Their standing points』の5分間で世界に名前を轟かせた新海誠の緻密な世界観を内外に知らしめ、今では『新世紀エヴァンゲリオン』と共に「セカイ系」の祖としても広く知られるようになった。勤めていた会社を辞め、たった1人でMACで作りあげた世界が2000年代の物語の構造を根本から変えてしまう。初期衝動と熱量に彩られた真にエポック・メイキングな作品である。
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