空の落下地点

カイロの紫のバラの空の落下地点のレビュー・感想・評価

カイロの紫のバラ(1985年製作の映画)
3.4
カイロの紫の薔薇は墓場に咲く花。死の上に咲く、すなわちあり得ないということ。映画という概念それ自体をこの花に喩えた本作は、血の通わないものの美を描いている。おそらくトムに生殖能力はない。ラストのセシリアの表情も、神に背き悪に魅入られた者の表情とも解釈できる。ファウストの影響が強く見える。ヤン・シュヴァンクマイエル先生大喜びでしょ、これ。
ギルモア・ガールズのリチャードが出てて嬉しかった。ギルモア・ガールズの原点を見た。途切れないお喋りは時間の可視化だ。
端役のトムが居なくなることで物語が回らなくなる。つまり、どんな些細な存在でも全体にとって必要なパーツであるということ。ドジで誰からも愛されてないセシリアですら、社会にとって必要。その証拠に、セシリアがスクリーンに入ることで物語の筋が変わっていく。居るだけで全体に変化を及ぼす、それが人間。この映画は希望です、バッドと見せかけてバッドではない。
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