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赤ひげの小のレビュー・感想・評価

赤ひげ(1965年製作の映画)
4.0
「午前十時の映画祭」で鑑賞。幕府の御番医になるため長崎遊学を終えて江戸に戻ったエリートの青年医師の保本が、貧乏人相手に黙々と治療を施す赤ひげがいる小石川養生所に配置されクサる。しかし赤ひげはスーパー医師で、保本は彼との交流を通じて人間的に成長していくという、よくあるパターンかなという印象。話が長いこともあり1時間くらいでちょっと飽きてきた。

黒澤明監督作品であり、映像、演出、役者の演技は素晴らしいのだろうけど、技術的な点を十分理解、味わえる鑑賞力はなく、見終わった直後はよくできた娯楽映画という感じだった(狂女を演じた香川京子さんは、やはりさすがだなあとは思った)。

しかしその後、NHKオンデマンドの「100分de名著」で、たまたま『エミール』(ルソー・著)の回を見たら、これって保本のことじゃね?という思いが離れなくなった。

番組で解説していた西研先生によれば、『エミール』の目的は次のようらしい。(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/55_emile/guestcolumn.html)

<教育論である『エミール』の目的の一つは、「みんなのため」を考えられる人間をどうやって育てるか、ということになります。もっとも、みんなのため、といっても自分を犠牲にして国家に尽くすということではなく、〝自分も含むみんなの利益〟をきちんと考える、ということです。

『エミール』の目的はもう一つあります。ルソーは、個人としての生き方の面でも、真に自由な人間を育てようとしました。しかしこれにも大きな困難があると考えていました。

〈文明が発達した相互依存的な社会のなかでは、人は自分を、名誉・権力・富・名声のような社会的評価でもって測るようになり、そしてまわりの評価にひきずりまわされる。それでは自由とはいえない。そうではなくて、自分の必要や幸福をみずから判断して「自分のために」生きられる人間こそが真に自由な人間だ〉。こうルソーは考えました。自分のため、といっても単に利己的な人間ということではありません。自分にとって必要なことは何か。また自分はどう生きたいのか。つまり自分の生き方についての価値基準をしっかりと「自分のなかに」もっているということです。

まとめてみましょう。ルソーが『エミール』で課題としたのは、「自分のため」と「みんなのため」という、折り合いにくい二つを両立させた真に自由な人間をどうやって育てるか、ということでした。この難しい課題に対して、この本は彼なりの答えを示しています。>

本作は<自分を、名誉・権力・富・名声のような社会的評価でもって測る>保本が<「自分のため」と「みんなのため」という、折り合いにくい二つを両立させた真に自由な人間>へと変わってゆく姿を描いているように思う。

保本は師である赤ひげとの交流を通じ、<自分の生き方についての価値基準をしっかりと「自分のなかに」>持つようになる。

その価値基準が何かといえば、やはりルソー言うところの「はかない幸福」ではないかと。番組を見て取ったのが次のメモ。

<人間を社会的にするのは彼の弱さだ。わたしたちの心に人間愛を感じさせるのは、わたしたちに共通のみじめさ(≒弱さや苦しみ)なのだ。>

<弱さや苦しみに対する共感が人を結び助け合いの気持ちを生む。弱い人間が手を結び合い、かけがえのない幸せ、"はかない幸福"を生む。弱さが幸せを生むこともある。>

社会的な地位や名声を得ることよりも、赤ひげや保本の生き方に共感し、2人を羨ましく思う気持ちを抱いたけれど、黒澤監督からしたらそれこそが狙いなのかもしれない。

黒澤監督は大林宣彦監督に<俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせる>と話したそうだけど、その気概を垣間見た気がした作品に思えてきた。
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