さわだにわか

ナッシュビルのさわだにわかのレビュー・感想・評価

ナッシュビル(1975年製作の映画)
4.8
ざっとここの感想を見ていてなんとなくピンとこないなぁみたいな声が多いようだったので、こう見れば『ナッシュビル』は面白いというのを『ナッシュビル』大好き人間なのでちょっと書いておきたい。

これ、なんでピンと来ないかって言いますと、登場人物が24人ぐらい出てくる群像劇なわけですが、普通の群像劇ってそれぞれの登場人物に役割があって、登場人物がそれぞれの特性を発揮しながら交錯することで物語が進んでいって最後に大団円になるじゃないですか。三谷幸喜脚本とかその典型ですけど、たとえば水道管が壊れて困ってる登場人物がホテルの一室に泊まってて、その隣の部屋に偶然配管工が泊まってたからこの人が異変に気付いて修理をしてたら、その部屋に水道管が壊れて困ってた人の恋人が戻ってきて、浮気と勘違いされて修羅場になり、その出来事がホテルの従業員の行動に影響を与えて…みたいな感じで出来事と出来事、登場人物と登場人物が連鎖しながら一つにまとまっていく。

でも『ナッシュビル』ってそうじゃないんですよね。24人の登場人物の数日間が並行して描かれるだけで、それぞれの登場人物の出会いがなにか大きなドラマを生むようなことはなく、出来事も登場人物も連鎖しない。これなんでそんなシナリオになっているかと言いますと、監督のアルトマンはこの映画の制作(か、もっと前の企画段階)にあたって『ボウイ&キーチ』でもタッグを組んだ脚本家のジョーン・テュークスベリーにロケ地で何週間か過ごしてもらって、そこで毎日起こったことを記録してもらったんです。その記録をもとに脚本が組まれているので、言ってみればこれはナッシュビル日記なんです。

今日のナッシュビルではこういうことが起こった、次の日はこういうことが起こった、それをひたすら並べた映画が『ナッシュビル』なので、フィクションですけれどもほとんどドキュメンタリーの体裁。実際アドリブの多用やロケ地に遊びに来たエリオット・グールドを本人役でそのまま出演させちゃうなどの即興撮影も行っているので演出面でもドキュメンタリー性は強く、日常生活ではあり得ないようなことが連鎖する伊坂幸太郎や三谷幸喜のようなフィクション性の高い群像劇を期待するとそりゃピンと来ない。それよりも想田和弘やフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーでも見るつもりでダラ~ッと流し見すると面白いと思います。物語を整理して追おうとするのではなく(そもそも追うような物語なんてない)あ、あいつさっきもなんか出てきたな、ぐらいな感じでゆる~く。そうすると面白い。

で、それでも一応これはフィクションの群像劇なので、最後は24人ぐらいの登場人物のほとんど全員が野外コンサート場に集まります。そこで大きな出来事が起こるわけですけれども、それが何を意味しているかと言いますと、ここは編集がかなりメッセージ性が強いものになっているので、このラストシークエンスだけはちょっと注意して見ていただきたいと思います。ネタバレにならないようにぼやかして書きますが、誰がその場から退場していったか、それからその後に会場に残ったのはどんな人たちだったか、そこにこのラストシーンと映画全体のメッセージがあると思います。

後者に関してだけ言えば、それはまず黒人のゴスペル隊、それから子供、そして最後にチラッと(不自然に)差し挟まれる女性警官でした。これは1975年の映画で、アメリカは1963年のケネディ暗殺、1968年のキング牧師暗殺、1973年のベトナム戦争撤退、翌1974年のウォーターゲート事件の発覚により信じるよすがを失い方向性も見失い、別の面に目を転じれば1969年のチャールズ・マンソンによるシャロン・テート邸殺人事件によってヒッピー・ムーブメントの退潮も明確になっていた、そんな時期の映画です。

アメリカはどうなってしまうのか。アメリカはどこへ行くのか。われわれアメリカ人は何を信じどう生きていけばいいのか? ステージから去って行く人々がいる一方、前述した人々はその場に残り、そしてここでカメラは会場の全景を捉え、徐々にズームアウトしていくと、アメリカ国旗が画面の中央に映ります。これがアメリカなのだ、良くも悪くも。そのアメリカで「心配すんな、私なら大丈夫」と半ばやけっぱちで歌いながらも懸命に生きていく人たちがいる。それは黒人の人たちであり、女性たちであり、そして子供たちだというわけです。

シャロン・テート邸事件やウォーターゲート事件といった暗い話題が多い一方で、反人種差別運動と足並みを揃えたウーマン・リブ運動によって女性の社会進出や人種差別の是正が進んだのもこの時代でした。ラスト、カメラが空を見上げると、そこは灰色の雲に覆われていますが、その雲は少しずつ画面の奥の方に流れてわずかに晴れ間が見えるようになります。「心配すんな、アメリカなら大丈夫」。なぜなら、これからのアメリカを背負っていく人たちはちゃんといるから。

1975年というアメリカの過渡期の混乱と倦怠と期待と失意と絶望と希望をあらん限り詰め込んだ映画、それが『ナッシュビル』だと俺は思います。そんな感じで観ればちょっとはピンと来るかもしれない…と思いたい!
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