青山祐介

ラルジャンの青山祐介のレビュー・感想・評価

ラルジャン(1983年製作の映画)
4.5
『シネマトグラフの真実は、演劇の真実とも小説の真実とも絵画の真実でもありえない。ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書」

ロベール・ブレッソン「ラルジャン(L’Argent)」1983年 フランス、スイス映画

それではシネマトグラフの真実とは何か?それを考えるためには、1943年「罪の天使たち」からはじまり、「田舎司祭の日記(51)」、「抵抗(56)」、「スリ(59)」、「ジャンヌ・ダルク裁判(62)」、「バルタザールどこへ行く(66)」、「少女ムシェット(67)」、「白夜(71)」、「たぶん悪魔が(77)」、そして、この「ラルジャン(83)」に至る、ロベール・ブレッソンの「長い歳月の」歩みを振り返ってみる必要がある。それは「シネマトグラフ」の歴史でもある。ル・クレジオは、「シネマトグラフ覚書」によせた序文のなかで、ブレッソンの歩みは、映画「<創世記>企画のために闘い続ける」ことであると指摘している。しかし、歩みは徐々に遅くなり、<創世記>の完成をまたずに、この「ラルジャン」が最後の作品となってしまった。
「ラルジャン」の原作はレオ・トルストイの『にせ利札(1911)』である。ブレッソンは原作の前半部の場面のみを描いたが、老婦人の死によって呼びさまされる「罪と赦し」を描いた後半部については制作することができなかった。というよりは、ブレッソンはもともと後半部を映画化するつもりがあったのか、あるいは後半部は<創世記>映画化への準備段階として予定していたものなのか、<創世記>にいたるまでの計画の、当然たどるべき道筋であったのか、それを知ることはできない。しかし、想像してみることはできる。
「ラルジャン」は<創世記>の企画を実現するための通過点である。最終の目的は<創世記>の映画化である。「ラルジャン」はアダムの堕落から始まる人間の「罪の集大成」であり、これまでのブレッソン映画の集大成でもあった。『ブレッソンにとって、芸術は必要なもの発見であり、まさにそれ以上の何ものでもない。』ここから<創世記>に向けての真の実践が始まるのである。それは「シネマトグラフの真実」の発見である。そのために必要なものとは、メシアンの「鳥のカタログ」のように、「人間の罪のカタログ」を音と映像で表現することであった。
『ブレッソンの試みは自分の提示しているものの絶対性を主張することである。偶然に起こるものはなにひとつない。代用というものは存在せず、幻想もない。すべては無情なのである』。スーザン・ソンタグ〈ブレッソンにおける精神のスタイル〉
「ラルジャン」には「赦し」も「救い」もない。すべては「無情」の存在なのである。ブレッソンが描く映画はつねに「罪と赦し」を根底に、「死と再生」、「束縛と自由」を描いている。それは「無情の美」とも「冷たい美」ともいわれる。モデル(≠俳優)について語るブレッソンの言葉がなによりもそれをよくあらわしている。モデルは「他人を演じてはいけない。自分自身を演じてもいけない。誰を演じてもいけない」のである。つまり俳優であってはならないのだ。シネマトグラフの真実を描く監督は「人生のなかから掴み取ってきたモデル」を使って、そのモデルだけに許された一本の映画を創造する。その映画だけに選ばれた一回限りの、特定のモデルは「見せかけること(俳優-演技)ではなく、在ること(モデル-純粋な本質)」によって、言語の束縛から自由になった存在として、「無情の」シネマトグラフの中に生き続けるのである。
 「ラルジャン」で特筆されるのは映像と音響である。「シネマトグラフとは、運動状態にある映像と音響とを用いたエクリチュールである」というブレッソンの言葉がそれをよくあらわしている。銀行の自動支払機のスライド扉が開閉する音(予告編のシーンが印象的である)からはじまり、罪を通過する扉の音、車やバイクのエンジン音、様々に行き交う罪あるものの足音、雑音、とりわけ響く監獄の音、鍵の音や封書を開く音さえもが無情に響く。また「雑音が音楽と化さねばならぬ」とも言われている。聖なるもの、悪なるものの具現、神と悪魔はいたるところにおり、あらゆる音の中に存在する。ヒルデガルトやグレゴリオ聖歌の中よりも、雑音の中に具現する。こうしてブレッソンの生涯の目標であった、「創造するためにキャメラを使う」シネマトグラフの真実をあらわす<創世記>を映画化するための準備ができたのである。<創世記>は、映像と音響でしか表現することができない。言語に絶する天地創造の時の音、ノアの方舟の中の動物たちのけたたましい声、それを想像しただけで魂は震え戦く。
「ラルジャン」には1場面だけ音楽が使われている。J.S.Bachの半音階的幻想曲(Fantaisie Chromatique)である。それはDiabolus in Musikaに聴こえてならない。
青山祐介

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