カラン

風花のカランのレビュー・感想・評価

風花(1959年製作の映画)
4.0
「風花って知ってるかい? 晴れたお天気の良い日に、どこからか風にのって来る、こんな雪のことなんだよ。なんだか、さいさきが良いじゃないか。」


木下恵介のかの有名な『楢山節考』(1958)は歌舞伎の舞台装置を導入したオールセットで、まるで後期フェリーニのように、画面が虚飾で溢れていた。薄っぺらく、いかにも作り物のセットが、逆に、映画空間の固有性を生み出し、どこでもない場所、ユートピアを現出させていた。今村昌平版(1983)がロケにこだわりながら、劇中でただ一つだけその存在が虚飾そのものである一本の木によって超越を導いていたのとは、好対照であった。(今村のこの木をタルコフスキーはカンヌで観たのかもしれない。)

それで、木下恵介は『楢山節考』の翌年に、同じく田舎の因習に縛られている人々を描いたこの『風花』(かざはな)を撮るのだが、古風な民家での屋内の撮影は、やはり、セットなのだろうか。『楢山節考』ではその《嘘っぽさ》が機能していたが、ここではテレビドラマの水準よりはましかなという程度で、いささか興ざめだった。しかし、ここが木下恵介の凄いところなのだが、この映画の美は『楢山節考』のようにセットにはない! 信州ロケがこの映画の可能性の中心にあるのだ。信州の山間を信濃川が抜けていき、善光寺平と呼ばれる盆地が広がっている。この農村と信濃川を舞台にして、驚くようなダイナミズムが展開されるのである。


☆冒頭のシークエンス

土塀と田んぼに挟まれた細いY軸上を、白むくの花嫁が行列の先頭を手を引かれて、手前に向かってくる。(ジャケ写のシークエンス) 行列が伸びきり、カメラが寄ったところで、奥に控えた使用人たちの一人が、ふと不安な顔立ちになる。フランスから戻った主演の岸恵子である。春子というこの女は、花嫁行列とは逆に誰もいない屋敷の中に消えていき、人を探す。「すてお」とつぶやき、裏から、信濃川であろう川に架かった橋をX軸上に渡っていく。画面奥の河原に男がいる。男は狂ったように川の中に走る。「捨雄」と呼びながら、春子は着物のまま、X軸を移動すると、今度はZ軸に沿って捨雄を追う。遠くには遥かな山並みが映っている。この映画では山は、いつも同じ姿に見える。

冬から春にかけた光景が多いと思う。冷たく澄んだ空気と枯れきった黄金色の草木は信じがたい美しさである。その類まれな信州の善光寺平のロケを、田舎に典型的なつまらない因習に縛られた人々が、存分に動き回る。だからなんだというメロドラマなのに、カメラのなんと気持ちのいいことか!『楢山節考』では中世の宗教画や、パラジャーノフの『ざくろの色』ばりに、Z軸の不在を強調した平面的構成だったが、この『風花』では、スクリーンという二次元にダイナミックな空間を作り出している。ばっちり決まった透視図画法を見ている気持ち良さである!

木下恵介、凄いな。なんでも撮れるんだろうな。フランス帰りの岸恵子に合わせて、脚本も書いて、パッと撮影したんだろうか。つまらない話なのに、職人芸に痺れる。

今更ですが、これから見る人は、焦らず観てください。映画は全編通してレトロスペクティブですから。後から全部分かるように作られています。木下印の、プロによる安心設計です。(そこがいつも木下映画で食い足りない気持ちになるところですが。)



追、

相米さんの『風花』もステキでしたが、関係ないと思います。




追追、

音楽は木下恵介の弟さんらしいです。けっこう良いです。ベートベンのピアノソナタを3曲くらい久我美子が弾くのですが、劇伴でぶった切られても、ノークレーム。
カラン

カラン