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エイリアンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

エイリアン(1979年製作の映画)
4.4
 西暦2124年の近未来、宇宙貨物船ノストロモ号は200トンもの鉱石を採取し、地球へ向かう軌道に入っていた。静寂に眠る船内のディテール、パソコンの電源が突如入り、乱反射したパイロットたちのヘルメットに怪しく光る。カプセルの中では7人の乗組員がカプセルの中でしばし眠っていたが、突然ハッチのドアが開き、カプセルのドアも開く。ノストロモ号のダラス船長(トム・スケリット)は誰よりも早く目覚め、静かに伸びをする。コールドスリープから目覚めた7名はダイニングに集まり、一緒に朝食を取る。ダラス船長以下、副長ギルバート・ケイン(ジョン・ハート)や科学主任アッシュ(イアン・ホルム)、操舵手のジョーン・ランバート(ヴェロニカ・カートライト)らが思い思いに朝食を食べる中、機関長のデニス・パーカー(ヤフェット・コットー)と機関士サミュエル・ブレット(ハリー・ディーン・スタントン)は待遇不満を訴える。割に合わない重労働をこなし、腹に不満を抱えた男たちの嘆きの中、船を制御するコンピュータ「マザー」が、知的生命体からの電波を受信し、その発信源である天体に進路を変更させられる。困惑する7人だが、雇用主のウェイランド・ユタニ社は契約書に「知的生命体からと思しき信号を傍受した場合は調査するように」と書いていた。やむなくノストロモ号は牽引する精製施設を軌道上に切り離し、発信源の小惑星に降り立つ。

 『エイリアン』シリーズの一作目を手掛けたリドリー・スコットは後に『ブレードランナー』を手掛けた監督だが、その圧倒的なビジュアル・ワーク、審美眼的な構図、近未来的なガジェット、1コマ1コマ丹念に絵コンテを描き、極めて美しい映像を切り取る。今作でリドリー・スコットが参考にしたのは、トビー・フーパーの74年作『悪魔のいけにえ』やウィリアム・フリードキンの73年作『エクソシスト』のような、ホラー映画由来の影響だったのは紛れもない事実である。今作で監督はSF映画とモンスター・パニック映画とを融合し、斬新なビジュアルで世界を震撼させた。ダラス船長のヘルメットを溶かし、顔にへばりついて首にも巻き付いたエイリアンとのファースト・コンタクトから、お腹を突き破るエイリアンの造形は今観ても斬新で怖い。ホラー映画のテンプレを踏襲するかのように、乗組員たちは1人また1人と次々に怪物の餌食となる。乗組員の中で一番下っ端な二等航海士のエレン・リプリー(シガニー・ウィーバー)は皮肉にも船内規定を遵守し、人類初めての地球外生物の侵入を阻止しようとするのだが、そこには個人vs組織との胡散臭い力学が事態を黒く塗り潰す。

 シュールレアリズムのデザイナーである巨匠H・R・ギーガーのエイリアンの造形は後頭部が極端に長く、鯉の口のような上唇から絶望的な舌が覗く。その黒光りするビジュアルは来たるべき80年代の造形を数年先走っていたと言っていい。21世紀のフェミニズムの時代を予感させるような物語は、男勝りなリプリーの価値観と組織の論理が衝突し、仲違いを起こす。ステレオタイプな科学主任アッシュの心変わりはある種、エイリアンの侵略よりも奇異に映る。プレイガールのヌード・ピンナップの切り抜きが貼られた部屋で、アッシュがリプリーの口にエロ本を挿入する場面は、ダラス船長の腹部を突き破ったエイリアンの描写に呼応する。その2つのビジュアルは過激な男性器のメタファーに他ならない。クライマックスでシャトルを切り離したリプリーは安心した表情で下着姿になるが、悪夢はまだ終わらない。この半径数mの恐怖の出会いは、たった1人の部屋にゴキブリが出た時の錯乱状態を思い浮かべれば容易に理解出来得る。白の下着から防護服へ着替えた宇宙空間のジャンヌ・ダルクは決死のサヴァイヴァルを試みる。圧倒的なヴィジュアルとフェミニストの時代を予見していた物語は、ひたすらシンプルであるが故に力強い。この後、幾多のフォロワーが生まれたが、今作を超えるような普遍的な物語は勝ち得ていない。
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