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淑女は何を忘れたかのパングロスのレビュー・感想・評価

淑女は何を忘れたか(1937年製作の映画)
4.6
◎完璧なる小津喜劇、嘘つき教授と酒呑み難波娘

終映後、拍手が起こった。

終始、爆笑に次ぐ爆笑。
三谷幸喜もクドカンも、元ネタはこれか!と思わず膝を打つほど完璧な喜劇。

日中戦争(1937-45)の発端となった盧溝橋事件(1937.7.7)が起こった年の公開(1937.3.3)ながら、戦争の暗い影を全く感じさせない爆笑ホームコメディである。

未修復のためか16mmフィルムの上映だが、僅かな欠落のみで、状態はすこぶる良い。
ホワイトノイズが若干あるが、セリフも聴き取れない箇所は少なく、ストレスなしに楽しめる。

【以下ネタバレ注意⚠️】




日本映画で、これほど爆笑満載の喜劇映画があったとは!
それも小津作品で。
それも戦前1937年に。

むしろ、「映画喜劇」と呼びたくなるほど、純度100%のコメディである。

『淑女は何を忘れたか』というタイトルが本作をミステリーかと思わせて誤解を産み、視聴を遠ざけているとしたら勿体ない。

「淑女」も、ほとんど死語だし。

ところで、タイトルの意味は、栗島すみ子演ずる時子夫人が小宮教授から平手打ちされることで、忘れていた夫の男らしさに改めて気がついて惚れ直した、ってことで合ってるだろうか?

シネ・ヌーヴォちらし(web版は文末リンク)に、本作は、
「男女の他愛のない誤解やだまし合いや仲直りを軽妙な語り口で描く、ソフィスティケイティッド・コメティの秀作」
だとある。

ソフィスティケイテッド・コメディはWipedia では、以下のように説明されている。
「主にハリウッド映画におけるロマンティック・コメディの一種で、主人公の突拍子の無い行動でストーリーを展開させるスクリューボール・コメディに対し、男女の気の利いた都会的な会話のやり取りでストーリーを展開させる作品を指す。
‥‥トーキー時代の到来により、従来主流だったスラップスティック・コメディに取って代わって持て囃されるようになった。
エルンスト・ルビッチやビリー・ワイルダーが得意とした。」

『アパートの鍵貸します』(1960年)で知られるワイルダー(1906-2002)は、小津(1903-63)より3歳年下、ルビッチ(1892-1947)は11歳年上だから、実際にはルビッチの影響を受けたということなのだろう。

ゼームス・槇名義の小津とともに脚本を担当した伏見晁(1900-70)は小津とはサイレント時代の『落第はしたけれど』(1930年)、『生れてはみたけれど』(1932年)両作の脚色以来のコンビ。
伏見は、五所平之助監督による日本初のトーキー映画『マダムと女房』(1931年)でコメディ脚本家として成果をあげていたので、彼の参加が本作の優れた喜劇台本を誕生させた要因かも知れない。

本作は、『風の中の牝雞』(1948年)とともに、大佛次郎の原作に基づく『宗方姉妹』(1950年)と姉妹関係にある作品と看取した。

実験不条理劇というべき『宗方姉妹』(2024.2.28Filmarksレビュー投稿)に対して、本作は文字通りウェルメイドの極みと評すべき洗練されたコメディ。
『風の中の牝雞』については、別途レビューするが、通常、粗い作品から洗練された作品へ、実験劇からウェルメイドドラマへ、というのが、世の習い。
世間一般のモノの進み方に反して、小津の場合は、その逆ベクトルの順序で仕事をしていることが不思議ではある。

本作と『宗方‥』の共通点は、下記の4点ある。
(1)両作とも、斎藤達雄が医学部教授
(2)本作の桑野通子演ずる節子と、
  『宗方‥』で高峰秀子演ずる満里子が、
  ともに自由奔放、酒呑みの酔っ払いともなる。 
(3)本作の斎藤による教授役の夫が、
  『宗方‥』で山村聰による無職の夫が、
  それぞれ妻を平手打ちする。
(4)バーの壁のドン・キホーテのエピグラフ
(他に、『宗方‥』で田中絹代演ずる節子と役名が重なるが、役どころは異なる。)

(1)を補足すると、両作とも喜劇味がある人物で冗談好きという共通点もある。
斎藤達雄は、サイレント時代からの小津映画の常連俳優だ。
どことなく小津本人に風貌が似ている。
あるいは、小津が作中に自分を投影するために愛顧した男優かも知れない。

(2)については、『宗方‥』のレビューで、あまりにも自由奔放な満里子を、
「戦後混乱期の日本に登場した新人類、いわゆるアプレ娘の小津/高峰なりの表現なのだろう」
と評したが、本作の節子は、高峰の演技ほどには奇矯ではないものの、元気の良い大阪弁でハキハキと思いのままに口にし行動に移すさまは、まさしく満里子のプロトタイプである。
大阪の娘なので、「だんない、だんない」とかの真性大阪弁なのも面白さを倍加させている。
*劇中、桑野が「京阪国道」と言っていたような‥ 戦前からあった言い方だったんですな。

桑野通子(1915-46)は、当時22歳。
笑顔が可愛らしい丸顔の美人女優で、知性的でもあり、明るくて最高のコメディエンヌぶりを本作で見せつけてくれる。
31歳で早逝し、戦後に活躍できなかったことは映画界の大きな損失であったろう。

(3)については、本作の小宮は、
「とにかく殴るってのは良くなかった」
と、すぐに妻に謝る。
かえって妻も、優柔不断かと馬鹿にしかけた夫を見直すきっかけとなり、万事ハッピーエンドでおさまりが付く。
それに対して、『宗方‥』では数回の連打に及ぶ暴行のあと、妻は離婚を決意し、当人の方も急逝してしまうという呆気ないバッドエンドを迎え、驚かされる。

さて、本作では、大阪から東海道線で来た姪の節子(桑野通子)が、せっかくだからと東京見物に日ごと繰り出す。

「歌舞伎座で幕見に行ってみたの。
菊五郎が、こんなにちっちゃく見えるのよ」
というセリフは、確か他の小津作品でも原節子あたりが口にしていたと思うが、本作では、桑野が大阪弁でまくし立てる。

歌舞伎の演目は、「(花ふりかかる?)仲之町」云々のセリフが聴き取れるから、南北の「浮世柄比翼稲妻」からの「鞘当」のひと幕。

節子が小宮にねだって連れて来てもらった芸者街は、赤坂か、新橋か。
芸者二人による連舞の地に「春や昔の春ならぬ」と『伊勢物語』の「月やあらぬ」の引用があったので、検索して、長唄の「ことぶき」かと思ったら、『大全』に清元の小唄「止めてはみたが」だと答えが出ていた。流石に参考書には敵わない。

(4)は、ドン・キホーテからの一節、

I drink upon occasion ,
Sometimes upon no occasion .

の文が、両作ともバーの壁に(本作では鴨居状の横板に書き文字で、『宗方‥』では立体文字を貼り付けで)あって、いずれも複数回映される。
何故か、本作では “ Don Qihotte “ のあと花押がある。ドン・キホーテの花押って何やねん?

物語の舞台は、山の手にある大学医学部教授の豪奢な邸宅。
他の登場人物も、山の手に住む富裕層たち。
『大全』には、「舞台がそれまで多かった下町から富裕な山の手に移」り、「軍国化のなか、洗練された都会的な喜劇となったのは小津が豊かな生活を送れるようになってきたからか、時代への反逆か。これまでの悲劇的で鋭い社会描写はどうなったのかと首をひねる観客もいた」と書かれている。が、たんに喜劇だというだけで、1937年当時における山の手富裕層の生活実態は細かく活写されていると言わなければならないだろう。

小宮の邸宅は、外観は映されないので分かりにくいが、メインルームと思しき広い洋間が一階にあり、小宮教授はもっぱら二階で過ごしている。これは『大全』の説くように、家屋敷が妻方の財産で、いわば夫は入婿状態で格の低い二階を使わされているという構図だろう。
(『大全』は、これを『淑女‥』『宗方‥』『お茶漬の味』3作の「主人」に共通するとしている。)
ただ、小宮邸がさほど規模が大きくないとすれば、基本は和風住宅で、二階建て洋間の別棟が造り付けとなっている可能性も高そうだ。

俳優陣では、斎藤、桑野が喜劇を主導するが、時子役の栗島すみ子もカウンターとして気位の高い山の手夫人をいかにもそれらしく体現し、最後に、平手打ちされたことによって、逆に夫に惚れ直すという意外性のコメディで見事にオチをつけてくれた。

小宮邸に出入りする凸凹コンビ、牛込のマダム千代子は飯田蝶子、田園調布(Wikipedia では御殿場)の未亡人光子は吉川満子。
いつも小宮邸の一階上がり框入ったすぐの畳敷きの部屋(古民家で言う取次?)で時子夫人と3人して駄弁っている。
この部屋の奥正面に一行書「南無釈迦牟尼仏」の軸が掛かっているのも可笑しみを倍加させている。

本作冒頭は、屋外のロケで、小宮邸のある高級住宅街を闊歩するマダム千代子の何やら不敵な笑みで始まる。
天性のコメディエンヌ、飯田蝶子が贅沢な衣装に身を包んで山の手夫人を演じているだけで可笑しい。
本作が爆笑喜劇であることを最初に印象づける演出だ。

前年の『一人息子』ではシリアスに働き者の信州のシングルマザーを演じた飯田は、本作では100%喜劇役に振り切っている。

変顔はして見せる。
「バカ」「カバ」の小学生並みのくだらないやり取りを吉川満子と何度も繰り返す。

とにかく本作は、ギャグの畳み掛けあり、天丼あり、の笑いのネタ全部盛りで、賑やかに展開する。

それが、斎藤のオトボケ教授、桑野のハッチャケ難波娘、上がり框の三馬鹿トリオと調子の異なる組み合わせで次々と見せて行くのだから、飽きさせない。
ギャグがうるさくならず、全部笑える。

奇跡の純粋喜劇だ。

本作を観れば、小津安二郎が真性の喜劇作家だという事実を得心せざるをえなくなるに違いない。

BGMだったかな、スチールギターの音色も聴こえて来たけど‥ とか、語ればキリがなさそうなので、この辺でキリを付けさせていただきまっさ。

《参考》
生誕120年 没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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