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トウキョウソナタのnetfilmsのレビュー・感想・評価

トウキョウソナタ(2008年製作の映画)
4.1
 冒頭嵐の昼間、大風にカーテンが揺れ、雨が部屋に吹き込んできている。母親は急いで窓を閉め、水浸しになった床を拭くが、どういうわけかもう一度窓を開け外を見る。彼女がいったい何を見ているのか?その答えとなるショットは遂には出て来ない。しかしながら彼女が4人家族の中で率先して出て来たことを忘れてはならない。次に父親の会社での様子がフレームに映される。彼は部下を軽く叱責するも、上司の部屋へと足早に急ぐ。総務課の移転計画が矢継ぎ早に繰り広げられ、父親の仕事は残酷にも下請けの連中に奪われたことを上司が告げる。開巻早々、路頭に迷った父親は、家族に失業した事実を言い出せずにいる。次男(井之脇海)は次男で、授業中にマンガ雑誌を廻し読みしたことを先生に咎められる。彼は冤罪を主張するが、先生は頑なに後ろに立っていろと命令する。ヒート・アップした少年は、先生が列車の中でエロマンガを読んでいたことを咎めるが、逆に先生の逆鱗に触れ、主張は一切通らない。自暴自棄になった彼の楽しみは、帰りの道中にあるピアノ教室のレッスンの様子を眺めることだった。長男(小柳友)はアルバイトに明け暮れ、毎日朝帰りで、昼夜逆転の生活で父親との接点はほぼない。ティッシュ配りのアルバイトで明るい未来の見えない青年は、いつか「ここではないどこか」への旅立ちを夢見ている。

 4人家族はそれぞれに言い出せない悩みや事情を抱えている。言いようもない人生の不幸を抱えながら、それでも家族の風景を頑なに守ろうとする父親がどこか滑稽で、浅はかに映る。40代そこそこの彼は、自分の威厳を守ることに必死で、目の前にあるリストラという事実をうまく口に出せない。そうこうしている間にも、息子たちは将来のビジョンを考え、自分たちの人生を歩もうとしている。長男はアメリカの軍隊に入隊したいと言い、次男はピアノが習いたいと言う。だが父親は自分の威厳のために、息子たちに対して簡単にはYESと言えない。そのことが必要以上の軋轢を生み、物語の求心力となる。アメリカ行きを決めた長男をバス停まで見送るのは母親である小泉今日子の役割であり、そこに父親の姿はない。ブレッソンの『ラルジャン』への無邪気なオマージュのように、父親と次男が二階で攻防を続けるうちに、思いがけず次男は階段を転げ落ちる。ここに来て家族関係は音を立てて崩れ始める。黒沢にとって家族関係とはそのくらい薄い成り立ちであるが、『ニンゲン合格』や『アカルイミライ』の時とは違い、家族間に激しい言い合いの場面を作ることで、より家族の危うさを緊密に表現する。

 ゆっくりではあるが、用意周到に家族が崩壊していく様子は、21世紀を挟み、黒沢映画が世界の不均衡や崩壊を描き始めたこととも無縁ではない。映画の前半部分では母親の存在が堰き止め役を担っていたものの、後半、そうとも言っていられない危機が突如母親にも降りかかる。ここからの性急さは、黒沢お得意の転調と飄々とした魅力を讃える。父親の権威に正論で反応し、精神的ダメージを与えた妻の受け身の行動を、能動的判断へと変えるのは皮肉にも家に押し入った犯人である。黒沢映画においては禁じ手とも言える回想シーンの利用が、彼女の覚悟を象徴し、母親はやがて逃れられない運命の中で、岸辺へと辿り着く。ここでは役所広司扮する泥棒と母親が行為に及んだのかかどうかはまったく問題ではない。常に受け身だった母親の態度が、この一夜の旅を境として変容している。それは早朝の小泉今日子の美しいワンカットが全てを物語る。長男や次男や、ましてや父親でもなく、母親の自立が今作では最も目に留まる。クライマックスの中学受験の音楽試験を映したラスト・シーンの筆舌に尽くしがたい美しさは、何と形容したらいいのだろう?感極まる父親の脇で、小泉今日子だけはその事態を随分あっさりと許容するのである。
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