いの

エム・バタフライのいののレビュー・感想・評価

エム・バタフライ(1993年製作の映画)
3.9
♪出逢った頃は こんな日が
来るとは思わずにいた
Making good thing better
いいえ すんだこと 時を重ねただけ
疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの♪


上記のうたのタイトルを「ある晴れた日を聴きながら」に変えたいくらいぴったりとハマり(今作ではハメないけど)、杏里のうたと蝶々夫人のオペラが、頭のなかでバタフラってます。これはできればあらすじも読まずに観ていただきたいし、途中でそんなんゼッタイにあり得ない展開が続いてあたまのなかが???だらけになっちゃうと思うけれども、そこはぐっと堪えて(事実に着想を得たということがオープニングクレジットで示されるので、放棄したくなったら、このエピソードは事実かもしれないんだからと、ご自身に言い聞かせていただきたい笑)、最後までたどり着くと、なんかとても味わい深いものとなること請け合い(※感想には個人差があります) 


  M.バタフライ
= マダム・バタフライ
= 蝶々夫人

西洋人の東洋人に対する眼差しは、東洋人女性がそうであったらいいという願望であり、帝国主義的視点であることが冒頭で語られるけど、その話がずっとベースにあると感じた。


物語は1964年から1970年まで。駐日フランス大使が主人公なので、当然外交も重要な主役のひとりとなる。それも大変興味深い。京劇や中国の歴史については、少し前にみた『さらば、わが愛/覇王別姫』が理解の手助けとなってくれたと思う。


惜しむらくは、フランス大使館員の話なのに、館内でもフランス語が話されないこと。赴任作は北京なのに、中国人同士が中国語で話さないこと。アメリカ映画だから仕方がないのかもしれないけれど、カナダのクローネンバーグであるからこそ、フランス語にこだわっても良かったんじゃないかと思う。


男は幻を愛し、自身の心のうちにカンペキな女性を作り上げ、幻の女性を心から愛したけれども、その幻は実は自分自身のことでもあり、究極の自己愛を完結させたようにも思う。ふたりがとてもとても美しく、バタフライのように儚げだった。



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〈メモ〉

物語はAからCまで

A 1964年北京。アメリカによる本格的北爆開始の前年であり、フランスにとっては第一次インドシナ戦争失敗の後遺症もある。アメリカは未だ中華人民共和国に大使館を持っていない時代。

B 文化大革命は1966年から。その影響もあり、パリでは1968年 五月革命が。

C 1970年裁判(翌1971年はニクソン・ショック)
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