シガーandシュガー

大人は判ってくれないのシガーandシュガーのレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
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学生時代に観て以来なので、20年以上ぶりの再鑑賞。
今見ると、昔とはだいぶ感想が変わっていたので、同じ映画を年取って見てみるのも面白いなと実感。

感想が変わっていたこと その1。
大人たちが、特にひどすぎるということもない。特に、父が義理の父親だと判明するのはあとの方だけれど、わかってみれば父親はとても頑張っていたとわかる。彼なりに手を尽くしていたな、と、今では思う。

鑑賞者はアントワーヌが何をしているか、何に傷ついているかがわかるから同情できる。でも実際に自分がアントワーヌのような「一見反抗的」な子供を前にして、どれだけ理解して寄り添ってあげられるだろうかと思う。アントワーヌについて知れる部分は「宿題をしない」「授業態度が悪い」「無断欠席する」「嘘をつく」「タバコを吸う」「盗みをする」「ボヤ騒ぎを起こす」なのだから、どうしてそんなことになるのか?と、手間暇かけて理解してやるのは簡単ではない。親ならば手間暇かける義務と責任があるけれど、生活で手一杯の毎日に、どこまで寄り添ってあげられるのか。

その2。
母親も、特別にひどい女ではない。そもそもで言ってしまえばこの母親がアントワーヌを産むに十分な準備ができていいなかったことがアントワーヌの不幸の原因だけど、あの母親も裕福な男と初婚できていたら良い母親になれていたかもしれない。そう思うとめぐり合わせがいろいろと悪かったに過ぎないなと思う。

その3。
初めて見たときは、友達のルネが、少年院から帰るときに自転車で去ってしまうのが寂しく見えたけど、今はルネのたくましさを見たような気がしてむしろ微笑ましかった。街から遠いだろう少年鑑別所へ、自転車でやってくる根性と友情、義理堅さ。面会できなくて帰ってしまう素っ気なさは子供らしいし、ルネは、このあとのアントワーヌにとっても大切な友達であり続けるのじゃないかと思った。だったらいいなと思う。

感想が変わらなかった部分。
アントワーヌは、行動力と知力が半端にあったたために道をそれてしまったな、とあらためて。
両親や教師に疎まれても、ただじっと我慢する子供もいる。家事の手伝いもせず母の不倫もぶちまけてしまう子供もいる(アントワーヌえらい)。アントワーヌは我慢を貫くには行動的・浅慮的すぎて、親の不備を突いて反抗するには思慮深く優しすぎたように見える。

なんとなく救いがあるような気がするのは、全編を通じて流れる音楽が優しいことと、アントワーヌを演じるジャン=ピエール・レオの表情が、たくましく未来を切り開いていく真っ直ぐさのようなものをたたえているからではないかと思う。完全に堕ちてしまう未来もなくはないけれど、立派に自立して生きていく可能性も、彼の顔つきには見えるような気がする。
ラストも、どこかしらアントワーヌが少年時代を終え、自分だけを頼りにして生きていこうと立った瞬間のように見える。20年以上たっての再鑑賞の今も印象は変わらなかった。


自分の子が巣立つ年齢になってみて、子供が無事に自立してくれたことは、単に運が良かっただけだと日頃から思っているけれど、この映画を再鑑賞してあらためて痛感する。
でも、運の良し悪しに関わらず人は生きていかなくてはならないので、悪いめぐり合わせにいる人達すべてに、どこかで変化のチャンスが与えられるといいなと思う。