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櫂のsoffieのレビュー・感想・評価

(1985年製作の映画)
3.8
五社英雄監督

1985年劇場公開

宮尾登美子原作、五社英雄監督の映画化作品としては
「鬼龍院花子の生涯」
「陽暉楼」と並び
「土佐三部作」の一作

「櫂は三年 櫓は三月」荒波を渡って行く船の櫂を上手く扱えるようになるには、という諺から取られた題名 。

五社英雄監督ファンとして結論から言うと
この作品の終わり方は
「え?…終わったの??は????」と思わせられる、他作品とは違う歯切れの悪さというか、救われなさというか…、ちょっと翌日まで引きずるしんどい終わり方だったのが疑問。

大正3年が設定の、忌み嫌われる職業「女衒」から「興行師」「土佐の名士」と成り上がり裏社会から市会議員候補まで上り詰めようとする緒方拳と、夫を疑うことも逆らう事もせず、2人の実の子以外に、突然夫が連れてきた少女や、他所の女に産ませた赤子を、愛情を注いで育てる妻の役を十朱幸代が演じている。

女衒の妻だから、さぞかし肝が座っていて「鬼龍院花子の生涯」の岩下志麻の様に夫の事情を納得ずくで家内を取り仕切っているのだと思っていたが。
子供も大きくなった結婚して18年目頃に、
夫が興行師として探してきた女義太夫と肉体関係があると知り、衝撃を受けた所で「この奥さん何も知らなかったのか、凄い世間知らずだったんだ、女衒の妻なのに、通りで身なりも普通の商家の妻のように良い物身につけてる訳だな」と分かる。

そこから富田家(緒方拳の家)の内情は崩れ始めるが、夫である富田は勢力を伸ばし始める。

一見、仲が良さそうな夫婦だが、実は夫が心血を注ぐ職業を妻が嫌っている、根底で噛み合ってない夫婦は、まるで和製「ゴッド・ファーザー」のマイケル•コルレオーネとケイの関係を彷彿とさせる。

マイケル・コルレオーネはどんな時も女で遊んで妻を苦しめることは無かったが、富田は好みの女に出会うと手を出して一緒に同棲までするが、女に子供が出来たり、正妻の座を望むようになると遠くに突き放し捨ててしまう。
だからといって正妻を大切にしている訳でもない、仕事の出来る日本男性によく見るステレオタイプだ。

あ〜日本独特の台詞だなと思うシーンが
女義太夫が産んだ赤子を迎えた富田の家で
(女義太夫は1度も我が子を腕に抱くことも許されず田舎に帰された)、富田家の下働きの女中や付き人は可愛い女の赤子にはしゃいでいる
その時、赤子の可愛さを誉めて
「さすが旦那様、良いお見立てで!」という台詞があった。
これは妾が美人だったからこんな可愛い女の子が生まれたんですね、女の趣味が良いですね。という意味だ。

日本の政治家、田中角栄の本を読んだ時
田中角栄の浮気相手になる女は本妻と同じタイプばかり、ということを料亭の女将が「奥さん孝行の良い旦那」と誉める箇所があり、その時、初めて
「本妻と違うタイプと浮気をするとただの女好き」
奥さんに似たタイプばかり好むと
「奥さんに肉体関係の負担を掛けない良い旦那」という男の身勝手を力ずくで正当化する文化が日本にはあるんだ!!と男尊女卑の根深さに震えた。

「櫂」の冒頭で極貧の家から口減らしに芸妓になる為売られた少女が、大人になって土佐一の芸妓となる役を名取裕子が演じている

五社英雄監督は着物の女性を物凄く艶っぽく香り立つ様に美しく撮る事で有名。

なので主演の十朱幸代を初め、名取裕子、最初の愛人の女義太夫の真行寺君枝、次の妾の白都真理が画面に現れるだけでハッとするほど「色っぽい美人」に表現されている。
女優冥利に尽きるだろう。

そお言う意味では「櫂」は「美女図鑑」として見応えがあるが、主人公の十朱幸代の人生があまりに酷い所で映画が終わってしまうので「え!?ウソ…終わり??」となる。

他の土佐三部作ではどんな惨いことがあっても落ちが着いた所で終わるのに、監督は何故この作品だけあの終わり方にしたのか。

ハッとする美人に撮って貰えて女優名利に尽きる、と言えば
この映画の順主役は石原真理子だが、彼女は神戸の港で「子供の胆から作る漢方薬、六神丸の材料として中国に売られようとしている所を緒形拳に買われて富田の家の娘になるが、鬼龍院花子の生涯の夏目雅子の様に父親に犯されそうになったりしないので、五社英雄監督映画のヒロインとしては異例の香り立つような艶ぽいシーンは無い。
その代わりハッとする若さと健気さで目を奪われるが。
五社英雄監督ファンとしては、石原真理子は監督の好みとは少し違ったのかな??という疑問が残る。

話が出たからここに書くが
人間の子供の胆を使って作られる六神丸のために、2束3文で売られた子供たちが船にすしずめに乗せられ中国に売られていった話を、私はある映画を観てた時、中国船に乗せ替えられる時に泣いて大騒ぎした子どもを可哀想に思って主人公が買い取った(何の映画か忘れてしまった!)シーンを観てる時、一緒に観ていた友達が
「マジか、六神丸って本当に子供の胆だったんだ…こわ」と言った事で、場面に起こっている意味を知り「そ、そんな事本当にあったの!?」とショックを受けた。

しかし日本のバブル期にオープンしたとある有名ホテルの高級バーで
「秘密なんだけどね、ここには特別の漢方薬の秘酒があるんだよ、男性しか飲んだらいけないんだけどね、女性には絶対飲ませられない酒なんだ」と土で出来た壺を見せられた。
元来アルコールが飲めない私は「へ〜そ〜なんだ〜」と軽く思っていたら、後で「あれ壺の中に漢方薬と人間の生まれたばかりの赤子が漬け込んであるんだよ」と教えられ震撼した。

六神丸は現在は動物の胆を使って作られ売られている。

このような時代の黒歴史を描いた場面はそのうち閲覧禁止になるんじゃないかとふと思ったが、それも含めて時代背景があるのだから観る側としては受け止めなければならない。

「櫂」は十朱幸代も名取裕子も真行寺君枝も白都真理も綺麗だが、終わり方があまりにしんどいので、もう観ることは無いと思った映画。
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