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男はつらいよ 奮闘篇のケーティーのレビュー・感想・評価

男はつらいよ 奮闘篇(1971年製作の映画)
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方言の強烈さ
親と子、あるいは家族との関係を描いた作品


「男はつらいよ」は、シリーズ化されてからは、落語のように枕が入って本編となるスタイルが多いが、本作はそこがよく効いている。まず枕として、ミヤコ蝶々さん演じる寅の生みの親が現れる。ここはさすがで、いかにも下品な女の色んな面をみせる。まるで「欲望という名の電車」のブランチにも通じるような彼女の虚勢を見抜ぬいていたおいちゃんの一言に哀しさがある。この枕となる話では、寅次郎の素性、そして、親と子というテーマを、バスタブの件などコミカルなネタもいれつつ、しっかり見せる。

そして、本編では、これを逆にするのだ。つまり、寅次郎が子ではなく親となる話をやるわけである。「瞼の母」さながら冷たい仕打ちを受けた寅である。自分の子には寂しい思い悲しい思いはさせまいと、障害を持つ女の子と出会い、そしてその娘と柴又で暮らす話が本編となる。その娘を守ろうと、過保護ぶりを発揮する寅さんは、現代で言うところのモンスターペアレントなのだが、そこをコミカルにおかしく見せていく。このあたりのプロット(ストーリー構成)の作り方がうまい。発達障害の女の子と寅が重なり、だから、寅は真剣になっていく。このあたりの構造も巧みで切ない。

しかし、女の子も寅に懐き、いよいよというところで女の子の故郷の青森から、田中邦衛さん演じる恩師が来て、事態は思わぬ方向へ向かう……。この恩師が実にいい人で、女の子がもともと寅に話していた通りなのだが、津軽弁ばりばりでこういう役をやらせたら、田中邦衛さんはやはりうまい。そして、先のミヤコ蝶々さんもそうだが、この頃の方言は今よりもっと強烈なのだ。だから、ミヤコ蝶々さん演じる寅の母親にしても、田中邦衛さん演じるヒロインの恩師にしても、この二人が出てくるだけで、寅とは異世界に住む住人だということが一発でわかるのである。最近は減ったかもしれないが、ドラマ等だと、親が海外にいるとか、海外から一時的に日本に来て再会するとか、あるいはヒロインが海外に親と行ってしまうといった設定が多かった時期があったが、それは方言が弱くなり、田舎というのを“クニ”と表現するように外国と同じインパクトがかつてはあったのが薄れて、代替案として、海外を設定で使うようになったのではないかと本作を観て、思わされた。

※以下、ネタバレになりうる記述があります。









さて、ラスト。どういうオチをつけるのかと思ったら、寅が思わぬ人を世話しているというのがいい。この世話をしている人が、少女とは逆の人なのだ。こうすることで、寅が世話焼きでどんな人にも優しい男であること、だから、引き際をわきまえ、相手の幸せを願って、今日も前向きに生きられること。そうした諸々のことが、ワンエピソードで全て語られるのだ。つまり、ラストで語らずともすべてをわからせるオチになっており、また、世話している相手を映さないあたりも、観客に想像させる演出がうまい。
子どもの頃は、「男はつらいよ」のオチはあっさりしていて、あれだけつらいことがあったのに、どうしてこうなるのと思うこともあったが、年を取って観ると、人間の機微が伝わり、何とも味わい深く、そして、何よりもそれをスパッと描く切れ味のよいラストだったのだなとわかる。