ゆうか

鬼畜のゆうかのネタバレレビュー・内容・結末

鬼畜(1978年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

かなり面白かった。
傾きかけた町工場の社長(緒方拳)と、糟糠の妻(岩下志麻)、景気が良い時に囲った愛人(小川眞由美)という設定がリアル。

月のお手当が滞り、生活に困った愛人が子供3人を連れて旦那のところへ直談判しに行く。
自分が平成産まれで子供を令和に産んだから思うが、この時点でウワッとなる。
ここでこの小さい子供たちは、自分が日陰者だと身に沁みてしまうと感じた。
そして、愛人もその子供たちの存在も知らされていない本妻。
これは辛かったのではないだろうか。
私の実家にも似たような話があるが、愛人や非嫡出子の存在を言ってもらえなかった方が、昭和以前の本妻にとっては、より辛いものらしい。

「自分は産めなかったからムカついてるんだろ!ガキは置いていくよ!」と愛人は姿をくらます。
置いていかれた子を丹念に眺めて「お前の子だって?似てないよ!」と吐き捨てる本妻。

そこから先は鬼のような本妻が虐待、虐待、虐待。
洗剤を頭からぶっかける、体罰、飯を乳児(と思われる)の口に詰め込む…。
その一方で、わざと末っ子を死なせたり東京タワーに置き去りにしたり、能登で海に突き落としたりと社長も悪逆非道の限りを尽くす。

もちろん、最終的には長男しか生き残らない。
最後に、どんなに尋問をしても口を割らない長男の様子を「親子だから口を割らなかったんだ、父親を庇ってるんだ」と警察が社長に言う。
「このおじちゃんは知らない、父ちゃんじゃない!」と社長を前にして言う長男。
許しを乞う社長。

このシーンは解釈が分かれる。
私個人は、長男が父親を捨てようとしていると感じた。
親が兄弟を捨てる所を散々見て、自分も毒入りパンを強制的に食わされかけ、最後は能登の崖からポイ。
口を割らないのではなくて、口を閉ざして縁を切ろうとしたのだと思う。
しかし、石板から足が付き、父親がやってくる。
長男としては、捨てると宣告せねばならない。
こうして父親は子殺し子捨ての罪と同時に、子供から捨てられるという十字架を背負って生きていく。

子供は無限の愛をくれる。
親から子への愛情なんかは、子供からの愛に比べたら、突き詰めると条件付きでしかないと思う。
損得勘定を覚え、世の中に出て汚い世間に足を付けると、途端に愛に条件が付く。
子供はそんなものがない。
我が子を見ていて思うが、知らぬ大人に笑いかけてかまってもらおうとする顔は、疑いを知らずに信頼だけがある。
自分の子、他人の子関係なく、その気持ちを向けられる大人としては子供の信頼に足る大人でなければと常々思う。

そして、子供を捨てた愛人について。
この人は必ず、捨てたことを後悔する。
虐待親にあるあるだが、その人なりに子供は愛している。
人並みではないから、あまり理解はされないだろうけど。
遅かれ早かれ、子供から自分に注がれていた無償の愛に気付き、人生で1番後悔するだろう。
ゆうか

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