青山祐介

悪魔の美しさの青山祐介のレビュー・感想・評価

悪魔の美しさ(1950年製作の映画)
3.5
『(道化)…だからひとつふんばって、見事なお手並みを見せてもらいたいものですな、
空想の音楽を高く奏で、それにありったけの合唱隊をつけるのです、理性や感情や分別や情熱をね。でも忘れちゃいけませんぜ、<おどけ>というやつをつけることも…』
ゲーテ「ファウスト 悲劇 ― 舞台での前戯」手塚富雄訳

ルネ・クレール「悪魔の美しさ(La Beauté du Diale)」フランス/イタリア 1948年

ファウストの造形は生易しいことではありません。監督ルネ・クレールと劇作家アルマン・サラクルウは、「悪魔に魂を売ったファウストの伝説」を「見事なお手並みで」フランス風喜劇「ファウスト」にしたてあげました。「(音に聞こえし魔術師、妖術師)実伝ヨーハン・ファウスト博士」ならぬ「誘惑者、恋愛の貴公子 ― アンリ・ファウスト」の颯爽とした登場です。それには、コンセルヴァトワールのファンファン、ジェラール・フィリップと「霧の波止場」「旅路の果て」の怪優、ミシェル・シモンという二人の役者の存在がなくてはならいものになります。ともすると陳腐なものになりかねない物語を、この二人の俳優を起用することによって、魅力的なフランス喜劇につくりかえたといえるでしょう。書斎の場面で、ミシェル・シモン扮する老ファウストのもとに、ジェラール・フィリップの扮するメフィストフェレスがあらわれます。(いや、これが悪魔ルシファーの真の姿なのかもしれません。いや、いや、これがファウストの真実の姿なのかもしれません。)ジェラール・フィリップの扮する悪魔の印象的な登場です。その美しさはジェラール・フィリップならではのものです!血の契約によって若返りをはたした青年アンリ・ファウストに扮した、ジェラール・フィリップのもとに、ミシェル・シモン扮するメフィストが、老ファウストに姿を変えて、若いファウストをそそのかし、マルグリット=グレートヒェンとの恋にあおりたてます。グレートヒェンの悲劇に焦点を当てれば、ファウストはメロドラマの狂言回しになり、メフィストに、滑稽で、強烈で、複雑な性格を与えれば、ファウストの影は薄くなってしまう恐れがあります。そこでルネ・クレールは、ジェラール・フィリップを誘惑者ファウストとすることで、マルグリット=グレートヒェン(王妃ヘレナさえも)を、ファウスト喜劇の狂言回しとしてしまいます。
「悪魔の美しさ」を持つのはミシェル・シモンが扮するメフィストでも、メフィストが扮する老ファウストでもありません。メフィストはルシファーの下僕であり、<道化>にすぎません。「悪魔の美しさ」とは、誘惑者ジェラール・フィリップの美しさであり、かれが扮するファウストこそ悪魔そのものなのです。魂を売った?とんでもない、ファウストは美と魂を買ったのです。
メフィストの声が聞こえてきます。「(ファウストのやつは)天からはいちばん美しい星をとろうとし、地からは極上の快楽を要求する。近いものも遠いものも、やすみなしに騒いでいる、あの胸を鎮めることはできない。(ゲーテ)」ファウストこそ悪魔なのです。
青山祐介

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